カラーチーでピクニックに出掛けた23人が海に溺れて死亡 より一層の遺体の捜索が続く
2014年08月01日付 The daily Jang紙

23人の遺体を引上げた。12人が行方不明。命知らずの者たちが荒波を物ともせず、シーヴュー、クリフトン、ドー・ダルヤー、ホークス・ベイ、ケープ・マウント、スネーラー・ポイントの海の深みに乗り出していった。憲法144条の禁止など役に立たず。イードの喜びは嘆きへと一変。
あたりが夕闇に包まれると救出作戦は打ち切り。海軍のヘリコプターも投入。相次ぐ死亡事故を受けてシーヴューとクリフトンに続く道路は全面的に閉鎖。交通渋滞。死者の遺族が抗議。州首相は調査を命令。

カラーチー(スタッフ・レポーター):―カラーチーでのイードゥルフィトル(断食明けのイード=大祭)の日、ピクニックに出掛けた23名が海に溺れて死亡した。救急隊がこれまでに23名の遺体を引上げたが、12名は依然行方不明のままである。これら水難事故がシーヴュー、クリフトン、ホークス・ベイにおいて集中して起こったのはイードの2日目であった。遺体が引上げられる度にそこには涙を誘う光景があり、イードの喜びは嘆きへと一変した。命知らずの者たちが荒波を物ともせず、シーヴュー、クリフトン、ドー・ダルヤー、ホークス・ベイ、ケープ・マウント、スネーラー・ポイントの海の深みに乗り出していった。憲法144条の禁止令など役に立たず、イードの喜びは嘆きへと一変した。訃報が届いた家々には慟哭の声が上がった。相次ぐ死亡事故を受けて警察はシーヴューとクリフトンに続く道路を全面的に閉鎖した。そのあおりで他の複数の地点で交通渋滞が発生し、地元住民は酷い迷惑を蒙った。木曜日あたりが夕闇に包まれると救出作戦は打ち切られたが、金曜日の朝に再開される見通しである。救出作戦にはパキスタン海軍のヘリコプターも投入された。警察と関連当局は144条の禁止令を徹底させることには完全に失敗した。死亡者の遺族は抗議をも行なった。スィンド州首相カーイム・アリー・シャーは内務省事務次官、カラーチー管区行政長官、スィンド州警察長官に水難事故の調査を行なようにとの命令を発した。詳細によると、イードゥルフィトルに際してカラーチーでは海での遊泳禁止を徹底させることができず、海岸の至る所で23名が溺れて死亡した。イードに際して、町の方々から訪れた何千何万という行楽客で海岸は溢れ返った。シーヴュー、クリフトン、ドー・ダルヤー、ホークス・ベイ、ケープ・マウント、スネヘラー・ポイントに大勢の市民が家族連れで押し掛け、海での遊泳禁止という規則を破り海水浴を楽しんでいたが、このとき若干の命知らずな者たちが荒波を物ともせず、水深の深い方向へ突き進み、相次ぐ水難事故が起こるきっかけとなった。イードの2日間で合計で24人を超える人々が海で溺れ、救援当局がこれまでに23の遺体を引き上げている。水難事故が発生し始めた時点では、憲法144を守る者は1人もおらず、また溺れた者を救出する機関も出動態勢になかった。イードの2日目スィンド州首相からの通知を受けて警察と市当局は動きだし、警察が大挙してシーヴューに到着し、シーヴューに通ずる道路を全面的に閉鎖した。この時溺死者の遺族が警察と市当局に抗議し、シュプレヒコールをあげ、警察がデモ隊に警棒攻撃を加える一幕もあった。警察とライフガードが遺体を引き上げるために到着しても、遺体を引上げる機械類を有しておらず、これを見て遺族から警察と市当局に対する激しいシュプレヒコールの声が上がった。遺体が引上げられると涙をさそう光景が広がった。死亡者の遺族は号泣し、イードの喜びは嘆きへと一変した。死亡者の遺体はジンナー病院と市民病院へ移された。ジンナー病院には多数の遺族も詰め掛けた。死亡者の遺体が自宅へ運ばれると町内の住民が多数駆けつけたが、皆目に涙を浮かべていた。溺死者の大半は若者であった。シーヴューでイードゥルフィトルの2日目海水浴中溺死に見舞われた者の中にはアーイシャ・マンズィル在住の叔父と甥も含まれていた。23歳のムーミン・シャーの息子のグラームッディーンと13歳のアミーンの息子のジュナイド、18歳のアズィーズ・ハーンの息子のマズハル、23歳のゾヘイブはアーイシャ・マンズィルから行楽のために夕方5時に動物園に向けて出発した。が、入園券が手に入らず、リキシャでシーヴューに向かった。マズハルが当ジャング紙に対して次のように語った。「シーヴューに着いた後グラームッディーン、ジュナイド、ゾヘイブは海に入ろうとして自分たちの荷物を残らず私に預けていったのです」、と。曰く、「海にはその時たくさんの人がいたため、3人は互いにバラバラにならないように手をつないでいました。海に入って相当時間が経った後ゾヘイブが自宅から電話を掛けてきて、グラームとジュナイドが溺れ、自分は助かった、と言いました。海の中でゾヘイブの手がグラームッディーンとジュナイドから離れた結果彼らからはぐれたが、誰かがゾヘイブの手をつかみ溺れようとするところを助かり、グラームッディーンとジュナイドは海の高波にやられて溺れたということなのです。」と。グラームッディーンはアーイシャ・マンズィルに住むバイク修理工、一方ジュナイドはジーワーニーに住む高校1年(9年生)の学生で、互いに叔父と甥の関係であった。シーヴューで23人の水難事故発生の後、警官はシーヴューとクリフトンへ通じる道路を全面的に閉鎖した。そのせいで地元住民は酷い迷惑を蒙った一方、道路の閉鎖でそれ以外の各所で交通渋滞が発生した。詳細によるとイードゥルフィトルに際してシーヴューで23人の水難事故を受けて警察はシーヴューとクリフトンへ通じる道路を全面的に閉鎖したが、代替路がないせいでスルターン・マスジッド、サウーディー・エンバシー、パンジャーブ・チョウランギー、コーランギー・ロード、アブドゥッラー・シャー・ガーズィーやその周辺地域で激しい交通渋滞が起こった。そして長い車列ができ、そのせいで数分の道程のところ数時間が掛かり、市民は大きな迷惑に直面した。他方、シーヴュー、クリフトンへの道路を閉鎖した結果、地元住民も迷惑を蒙った。彼らは自宅に缶詰め状態になり一歩も外に出られなかったのである。

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(翻訳者:橋本研也)
(記事ID:349)