バングラデシュ人になれた!~飛び地に歓喜の渦~
2015年06月20日付 Prothom Alo紙


(6月7日付)バングラデシュとインドの間で、互いの領土内に存在する飛び地の交換を定めた陸地国境協定の批准書が交わされたことで、飛び地の住民たちの間には喜びの渦が巻き起こった。住民たちはバングラデシュの国旗を掲げ、「我々はもう飛び地の人ではない、バングラデシュ人だ」と叫びながらパレードを行なった。お祝いの菓子を配る人も多く見られた。
バングラデシュのシェーク・ハシナ首相とインドのナレンドラ・モディ首相臨席のもと、両国は飛び地交換に関する陸地国境協定の批准書を交換した。昨日午後、ダカの首相官邸で、バングラデシュのショヒドゥル・ホク外務次官とインドのスラマニアム・ジャエシャンカル外務次官が、批准書を取り交わした。バングラデシュ側にある飛び地の住民たちの様子を、プロトム・アロ紙の記者たちが取材した。
クリグラム県: 批准書が交換されると、クリグラム県内にある12の飛び地では、人々が喜びに沸き立った。バングラデシュの国旗を手にして行進したり、菓子を配ったりする姿が見られた。同県フルバリ地区内にあるダシヤル・チョラ飛び地を記者が訪れたのは午後だった。各家にはバングラデシュの国旗が掲げられていた。子どもたちは大喜びで跳ね回っていた。フルバリに住むカレッジの女学生、パプリさんは「二つの国の間で国境協定の文書が交わされたことで、私たちの閉ざされた生活が終わりました。私たちはもう、主権国家・バングラデシュの国民です」と声をはずませた。
ゴンガルハト女子中高等学校の9年生、アエシャ・シッディキさんは「もう国籍などを偽って学校に通わなくてもよくなりました。妊娠した女性が、治療も受けられず死ぬこともなくなります。私たちはバングラデシュの自由な国民だと、胸を張って言えるようになりました」と語った。
ブルンガマリ郡パトルドゥビ区にあるシャヘブゴンジョ、ガオチュルカ、小ガオチュルカ、カラマティ飛び地でも同様の光景が見られた。「パキスタン時代から今までずっとここで暮らしてきた。飛び地の住民たちはこれまで、さまざまな迫害や苦しみに耐えてきたが、それももう終わりだ。わしらはバングラデシュ人になった」。シャヘブゴンジョ飛び地に住む95才のソブハン・ミヤは記者にそう告げた。
インド・バングラデシュ飛び地交換調整委員会のモイヌル・ボク委員長はプロトム・アロ紙の取材に「政府は過去68年にわたって開発から取り残されてきた飛び地の住民たちのために20億タカの予算措置をしたが、それではまだ足りない。政府がこぞって飛び地地区の発展に取り組む必要がある」と強調した。
ポンチョゴル県: 県内にある36のインド領飛び地では、人々が歓喜の行進を行った。ボダ郡のプティマリ飛び地の住民たちは朝、ポンチョゴルとダカを結ぶ幹線道路をパレードした。パレードには女性や子どもたちも参加した。参加者たちは「抑圧の日は終わった。これからは自由だ!」などの声をあげながら行進した。パレードの後は飛び地の仮政庁の前で集会が開かれた。プティマリ飛び地住民委員会のトスリム・ウッディン委員長は「私たちの長年にわたった苦しみを減らしてくれたことで、シェーク・ハシナ、ナレンドラ・モディ両首相に感謝したい」と話していた。
 パトグラム(ラルモニルハト県);県内のハティバンダ郡北ゴタマリ飛び地の住民たちの顔も、喜びに溢れていた。インド領の135の1番ゴタマリ飛び地に住むアシル・ウッディンというお年寄りは「飛び地の住民だということで、子どもたちを結婚させるのにとても苦労した。学校には住所を偽って通わせた。しかしもう誰にも飛び地の住人だなんて言わせない」と語った。バングラデシュとインドが作っている飛び地交換調整委員会の、バングラデシュ側のラルモニルハト県アジジュル・イスラム委員長は記者の質問に答えてこう言った。「68年間に及んだ幽閉生活からやっと解放された。我々は今やバングラデシュの国民だ」。

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(翻訳者:細谷めぐみ)
(記事ID:427)