現地の人々に親しまれていた星さん

2015年10月05日付 Prothom Alo 紙
(写真キャプション ロングプル医科大学病院で司法解剖にのぞむ専門家たち)

カチュ・アルタリはロングプル市郊外の静かな村だ。道の両側には田んぼとため池が広がるのみだ。村の人たちのほとんどは、これまで銃声など聞いたことがなかった。土曜日の朝、日本人の星邦男さん(66)の命を奪った3発の銃声は村人たちを仰天させた。村の住民たちはオートバイに乗った3人の犯人を見てすぐに警察に連絡したという。その知らせを受けて逮捕に向かったが取り押さえることはできなかったと警察は語っている。
昨日(日曜日)記者は現地カチャリバジャル地区のムンシパラの青年たちから話を聞いた。星さんは地区の住民たちに親しまれていたという。夕方になると近隣を散歩するのが日課だった。地区の店で毎日バナナを少なくとも8本買っていた。子どもたちと語り合い、チョコレートを買い与えたりしていた。片言のベンガル語で子どもたちにいろいろ話を聞いた。子どもたちはそれを面白がっていた。星さんは子どもたちに日本語の単語をいくつか教えようとしたりもした。
現地の青年たちは星さんのことを地区の住民として認めていたという。星さんがバングラデシュに来るようになったのは3~4年前からだ。2~4か月滞在して村から去り、また数か月するとやってきた。いつも質素な服を身に着けていた。地区の青年たちと一緒にモスクへ礼拝に出かけていた。先日のコルバニ・イード(犠牲祭)のときには、ムンシパラ墓地前の広場で行われた礼拝に住民たちとともに参加した。(ムスリムの集団礼拝が行われる)毎週金曜日には、ロングプルのケラモティア・モスクまで出向くのが習慣だった。
現地で商売を営むある男性は、星さんが住んでいた家の大家であるA.K.M.ザカリアさんは、かつて長期間にわたって日本で暮らしており、ザカリアさんの兄弟は今も日本に住んでいると語る。この男性は3年前、ザカリアさんから星さんを紹介された。ここで家禽のエサの研究をしていた星さんとそれ以降親しくしていたという。星さんとザカリアさんからその後、星さんは2か月から2か月半で成長する飼料用の草の研究をしていると聞いた。この植物の種について日本で実験しようとすると多くの費用がかかる。そのため星さんはバングラデシュにやってきたことは村の住民なら知らないものはいない。草の栽培に適した土地をしばらく探したのち、ザカリアさんが自分の親戚にあたるフマユン・コビル(別名ヒラ)という人物など3人兄弟からアルタリ村の2.8エーカーの土地を年8万2千タカで借りる手筈を整え、星さんはその土地で数か月前から栽培を始めていた。
記者は星さんが耕作を行なっていた畑を訪ねてみた。ロングプルの市街地からハラガーチに向かう道路を2キロほど行けばカチュ・アルタリ村になる。舗装道路から脇道をさらに1キロほど行くと星さんの畑があった。畑では飼料用の草が3~4フィートの高さに成長していた。星さんはほとんど毎日、この畑にやってきていた。アルタリ村に住むアブドゥル・ジョッバルさんは、星さんはこの畑で草の丈を計測し、ときには雑草除去作業なども自分で行なっていたという。アブドゥル・ジョッバルさんは星さんから、ロングプルの土地は期待通り牧草の栽培に適していて、日本でならせいぜい1.5~2フィートぐらいに成長するのと同じ期間で、ここでは3フィートを超えるまでになる、という話を聞いた。
ロングプル市内のムンシパラ地区から星さんはムンナフ・アリさんのリキシャで耕作地に通っていた。事件が起きた土曜日も、星さんはいつものようにリキシャで畑に向かった。舗装道路から外れて未舗装の道を100ヤードほど行ったところで、前方から2人の男がやってきて星さんをリキシャから引きずり下ろし、銃撃した。警官のアノワル・ホセンさんは村の人たちから、星さんのリキシャがやってくる前からディスカバー社製の赤いオートバイに乗った3人の男が、舗装道路と未舗装道路が交わる地点にいたと聞いた。オートバイのナンバープレートには「報道」と書かれていた。オートバイから2人が下り、未舗装道路にはいって道端に立った。星さんの乗ったリキシャが道沿いにあるコカ・ミヤさんの家の前を通り過ぎようとしたとき、2人が武器を取り出し向かってきた。ひとりが星さんに体をぶつけてリキシャから落とし、もうひとりが発砲した。
アルタリ辻市場で商店を営むモハンモド・モスタファさんは市場にいた店主たちの耳に銃声が届いたという。だが多くの人がそれまで銃声を聞いたことがなかったため、それが何の音か分からず、ちょうどダカから来たハラガーチ行のバスが通っていくところだったため、バスのタイヤがパンクしたのだろうと思った人が多かった。シャライ・ユニオン(複数の村で形成する地方行政組織)議会のアシュラフル・イスラムさんはバスの音が混乱の原因となったと語る。その直後悲鳴を聞いて、市場にいた人たちがコカ・ミヤさんの家が強盗に襲われたのではないかと思ったという。アミヌル、モスタファ、シャヒダルという3人の青年が走って行って星さんが倒れているのを見つけ、星さんを抱えて舗装道路のところまで運んだ。通りかかったシャディンという人のオートリキシャに星さんを乗せ、ロングプルのシャトマタ(七辻)までいってピックアップバンに乗り換え、星さんを病院まで搬送した。3人の青年は議長に、星さんはしばらくは話ができたと語った。だが何を言っているかは不明だった。ただシャトマタへいってほしいということは分かった。だがそこに着く前に星さんはぐったりとしてしまった。
アシュラフル議長は午前10時半ごろ、まずカウニア警察署の署長代行に電話で事件のことを知らせ、さらに県知事ほかの要人に電話した。カウニア署のレザウル・コリム署長代行はプロトム・アロ紙に、議長から知らせを受けて即時に署のコントロール・ルームに指示を出し、各所に配置されている警官たちに非常態勢を取らせたものの、犯人逮捕には至らなかったと語った。ロングプルからハラガーチに向かう道には多くの脇道があり、多くの道に警官を配備しても数が足らなかったことが、犯人に逃走を許す結果となったと署長代行は見ている。


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翻訳者:加藤梢
記事ID:449