サッカーがたくさんのことを教えてくれた

2016年06月11日付 Prothom Alo 紙

いつかビッグプレーヤーになるだろう、クリスティアーノ・ロナウドはこれを分かっていたようだった。ポルトガルは1度何か大きな勝利をあげるだろうとロナウドは考えている。ユーロ2016(UEFAサッカー欧州選手権)を前にして、今大会最大のスターは、UEFA(欧州サッカー連盟)のウェブサイトで、自分の幼少期、将来、ポルトガルとユーロについて語った。

幼少期について
私のいとこたちはサッカーをしていました。それを見て私もいつもしたいと思っていました。家の周りや学校でやっていました。11歳までマデイラにいて、その後、(ポルトガルの)本土に移りました。幼少期はなかなかのものでした――ごく普通のひとりの男の子はこうして、サッカーの世界でビッグになろうとリスボンに移り住んだのだった。――
私の両親はかなり幼い頃にマデイラから離れる機会を与えてくれました。この決断は両親にとって決して容易なものではありませんでした。2人にとってはもちろん、私自身の人生でもたぶんもっとも難しい決断だったでしょう。しかし迅速に結果をだすことができました。もう少し年上の子どもたちの年齢別のチームに入る機会がすぐにもらえたのです。15歳のときにはスポルティングのBチームで練習し始め、16歳でトップチームに加わりました。あらゆることがかなり早く起こりました。プロサッカー選手になろうと決心したのはその頃です。

運命について
幼少期にサッカーの試合を見ていて、いつか自分もあの場にいることになるだろうと思っていました。説明することは難しいですが、その考えが私に刺激を与えてくれました。「いつかはサッカー選手になるんだ。絶対なってやる」そんなふうに言って自分を奮い立たせました。ルイス・フィーゴ、ルイ・コスタ、フェルナンド・クトラが子どものころの英雄でした。しかし彼らの真似はしていましたが、自分の道がどこにあるのか分かっていて、そうした選手たちと試合することも分かっていました。私は多くの国内試合を見ました、特にマンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリッド、バレンシアとACミランです。プロのサッカー選手になると分かっていたんです。

ポルトガル代表デビュー
あの週は私の人生の中でもっとも素晴らしいときでした。なぜかって?想像できるでしょう。サッカーの歴史のなかでもっとも素晴らしいクラブのひとつ、マンチェスター・ユナイテッドに加入したからだと思います。その後、国の代表にもなりました。ユナイテッドの選手になってボルトン戦(2003年8月16日)で初めて試合に出ました。同じ週に国の代表でも試合に出ました(カザフスタン戦、2003年8月16日)。ありとあらゆることがいっぺんに起こったのです。早く起こりました。ポルトガル代表になって、初めて国際試合に出たことは、私の人生における特別な瞬間でした。

2004年のユーロ決勝でギリシャに敗れる
とても困難な時期でした。ポルトガルの地でギリシャに敗れてヨーロッパチャンピオンになるチャンスを逃してしまったからです。しかしサッカーではありうることです。サッカーは私にたくさんのことを教えてくれたのですが、そのひとつは、絶対なんてことは決してないということでした。今日真実であることが次の日には嘘にもなるかも知れない。あるチームの出来が今日は最高でも、次の日にはひどいゲームをするかもしれない。そんなことが起きたら、これはもう神のご意思だと思うしかない。未来について考えることが必要です。ポルトガルのナショナルチームの未来はとても明るい。ヨーロッパ選手権でも、ワールドカップでも勝てるかもしれないと思います。

サッカー欧州選手権とロナウド
欧州選手権とワールドカップは、いつでも特別なものです。どの選手にとっても、決定的な局面というのは、決して忘れることのできない瞬間の積み重なりです。私の人生に今、もう一回ユーロが付け加わろうとしています。何度もユーロに出場できたことは私にとっての大きな喜びです。もう一度ユーロに出るのは、言うまでもなく特別なことです。ポルトガルも乗っています。予選の段階からうまくプレーすることができました。

サッカー哲学
18歳から国の代表としてプレーしていたことを私は誇りに思っています。ポルトガルだけでなく、世界中でこれは見本になりうる。私にとってサッカーは何より大切なものです。が何よりも自分のそばにあります。ピッチの外では、良いイメージを与えることにプライオリティを置いています。それは子どもたちのことを考えるからです。私たちは子どもにとっての理想であり、子どもたちは私たちから多くのことを学び取るからです。


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翻訳者:齋藤史織
記事ID:568