ヒンドゥー寺院

2020年06月25日付 The daily Jang 紙
イスラーム教は宗教的寛容性と人道主義の宗教である。世界中イスラーム教徒が支配者であったところではどこでも被支配者に対し、その宗教の如何にかかわらず、常に平等、正義、公正、そして人権の尊重の原則に従って好待遇を維持してきた。ウマイヤ朝やアッバース朝、オスマン帝国やモロッコ王国であろうといずれの時代においてもマイノリティはムスリムと同等の権利を享受してきた。彼らマイノリティにとって宗教的実践や宗教行事開催は完全に自由であった。キリスト教の教会やユダヤ教の礼拝施設、またその他の宗教の宗教施設、それらは全て尊重されていた。パキスタンでも、当初より宗教施設に関する尊重と配慮の構えは維持されてきた。このような伝統を守りつつ、昨日イスラマバードで連邦首都初のヒンドゥー寺院の定礎式が行われた。イスラマバードは1960年代に建設されたものである。この都市にはヒンドゥー寺院は皆無であった。2017年には人権に関する国家調査委員会が下した命令により、首都開発公社はイスラマバードのヒンドゥー・パンチャーヤット(=ヒンドゥー教徒共同体)の要望により4マルラー(=在来の面積単位)の土地区画を割り当て。、そこで、昨日寺院の建設が着工となった次第である。鍬入れを行ったのはパキスタン正義運動の国民議会議員であり、人権担当政務官でもあるラール・マリー氏である。パキスタンはヒンドゥー・コミュニティーのために、その模範的ともいえる宗教的な寛容性を実践した一方、インドでは築年数何世紀にも亘るバーブリー・マスジッドを破壊した上、その跡地にヒンドゥー寺院の建設が進行している有様である。イスラーム教徒に対して礼拝施設や宗教施設が閉鎖されようとしている勢いである。イスラーム教徒はインドから追放するために不当な法律が制定されようとしている。イスラーム教徒は新型コロナ・ウイルス感染拡大の濡れ衣を着せられ、彼らが商店で商品を購入する許可さえ与えられなくなりつつある。ヒンドゥトヴァ(=ヒンドゥー至上主義)の信奉者らは様々な口実をでっち上げて、イスラーム教徒の殺害に手を染めている。ここからも両国の性格の違いは一目瞭然である。


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翻訳者:鈴木絢子
記事ID:900