カシュミール人の暗黒の日

2022年10月29日付 The daily Jang 紙
10月27日は1947年にインドがインド分離独立の既決のルールとカシュミールの民衆の期待を踏みにじりつつ、自国軍をカシミール渓谷に進駐させた日である。その日を暗黒の日として心に刻みつつ、昨日停戦ラインの両側に居住する、あるいは世界の各地に散らばったカシミール人はストライキ、集会、パレードやデモによって自らの誓いを繰り返した。すなわち、彼らは自決権の獲得を必ずや成し遂げる、と。シャハバーズ・シャリーフ・パキスタン首相はカシミール人との連帯を表明しつつ次のように述べた、「例えどんな犠牲を払おうとも、イスラマーバードはカシミール人との連帯を崩しはしません。パキスタンの指導者たち、アーザード・カシュミールの代表者、カシュミール開放の闘士たちの発言は国際的な機関を次の事実に刮目させつつあります。カシュミール人に国連の決議通りに自分の将来の自決権を賦与することにこれ以上の遅れを取ってはならない、と。」と。中華人民共和国はこう述べる。カシュミール問題は国連憲章、安全保障理事会の決議、双方の関連する取り決めに従って、平和裏に解決されるべきである、と。中国外務省の広報官はこうも述べている、両当事者とも事態を更に混乱に導く可能性のある一方的な措置は回避すべきである、と。カシュミール・メディア・サービスによると、インド軍は過去75年間で40万人以上のカシュミール住民を殺害する一方、350万人以上のカシュミール住民をアーザード・ジャンムー・オ・カシュミール(=アーザード・カシュミール)やパキスタン、あるいは世界の各地へと追いやったという。ニュー・デリーの現在のナレンドラ・モディ政権は3年前の8月5日に被占領カシュミール地方の特別な憲法上の資格の剥奪を含め圧制や暴力を増加に導く手段を用いてカシュミール渓谷のムスリム・マジョリティーの事実を改変するために打ち出した措置は、地元の多数派ムスリムの怒りに火を注ぐ手段である。国際社会はこれに即座に注意を向けねばならない。


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翻訳者:齋藤圭太
記事ID:1097