オルハン・パムクからの反論:アルメニア人大虐殺とは言っていない(Milliyet紙)
2005年10月16日付 Milliyet 紙

作家のオルハン・パムク氏は、裁判に訴えられる原因となった表現が誤解であると主張し、「『大虐殺』などという言葉を使ったことはない」と話した。

同氏は、大きな議論を巻き起こし、彼が裁判に訴えられる原因となった「トルコ人は100万人のアルメニア人を殺りくした」という表現がマスコミに誤解されて伝わったと話した。パムクは、「『トルコ人はアルメニア人を殺した』とも、『我々が殺した』とも言っていないし、『大虐殺』という言葉も使っていない」と述べ、テロ組織PKK(クルド労働者党)については「トルコ軍と戦うクルドゲリラ」と表現した。
CNNトルコで昨日タイフン・エルタンのインタビューに答えたパムクは、ノーベル賞候補に名前が挙がったことからアルメニア人虐殺問題まで、多くの事柄について自身の考えを明らかにした。

■「私の言ったことは誤解された」
パムクはアルメニア人に対する反感を呼び起こした発言を含むインタビューでの表現が、意図したものとは異なる形で伝わったとし、真意は言葉の意味とは裏腹であると述べた。
インタビューが不幸な面接になってしまったとも語ったパムクは、次のように話した。「時々思いついたことをそのまま言ってしまうことがある、と私は言った。『90年前にこんなことがあった』とも言った。そのことについてよく知っているからではなく、このことについて議論が深まればよいと思ったからだ。『我々はトルコでこれほど大勢のアルメニア人を殺した』などと言ったことは一度もない。『大虐殺』という言葉も使ったことがない。『トルコ人』という言葉もだ。それなのにこんな政治的な問題になってしまった」。

■「反パムクのキャンペーンが展開された」
「キャンペーンの導き出した結論はばかばかしいものだった。こんな大事になってしまったことの理由の一つに、個人の猛烈な嫉妬心がある。私の作品がベストセラーになると、一部の人々が『非常にメディア的で、広告ばかりしている』と言っていた。このキャンペーンも彼らが始めたのだ。
このこと(アルメニア問題)はタブー視されてきた。トルコにとってこれがEU加盟の障害になることは分かっていた。私についての裁判が、トルコのEU加盟の障害になってほしくなかった。しかし同時に、これは不当な裁判だと思ってもいた。ジレンマに陥ってしまったのだ。『下につばを吐けばあごひげにかかり、上につばを吐けば口ひげにかかる』といった具合に。
作家の仕事を始めたころは『私は政治とは関わりたくない』と言っていた。しかし90年代半ばに分離主義者の『クルドゲリラ』はトルコ軍と戦っていた。このこともまたトルコの民主主義を揺るがしていた。私もこうした事態には反対だったので、一連の発言をしてきた。こんな風にして政治に足を踏み入れたのだ」。

■「我々は寛容になるべきだ」
「私は一トルコ人である。トルコ共和国が今の領土を保ったままEUに加盟することを願っている。母語はトルコ語である。しかしこの国には母語がトルコ語でない人たちもいる。そして我々トルコ人は彼らに対し少しは寛容な態度を示さざるを得ないのだ。『私はクルド人だ』と言ったとしてもひどい目に合わせてはならない」。

■「ノーベル賞談義には興味がない」
パムクはノーベル賞に関してあれこれ言われていることを不快に思っているとし、次のように話した。「こうした『ノーベル賞談義』は好きではないし、皆と同じように新聞で話の成り行きを追っていたと申し上げねばならない。気になって仕方がないことではない。私の最新作の小説は初めから終わりまで愛の物語だ。ある男が30年にわたり1人の女性を追い求めるという話である。1975年から今日までが舞台となっている」。

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( 翻訳者:井上 さやか )
( 記事ID:1100 )