和歌山県串本町沖で遭難のエルトゥールル号犠牲者、桜とともに永遠に(Milliyet紙)
2005年10月18日付 Milliyet 紙
1890年、日本訪問の帰途に沈没したエルトゥールル号の犠牲者587人のために、イスタンブルに587本の日本ザクラの苗木が植えられる。
エルトゥールル号は、アブデュルハミト2世の命を受け旧大日本帝国に進物を届け、帰路で沈没した。殉職した587人のトルコ人航海士を追悼するためイスタンブルに植えられる587本のサクラの苗木が、、日本サクラ協会から贈呈された。日本ザクラの苗木はTEMA財団(トルコ対侵食植林・自然保護財団)所有の、キュチュクバッカルキョイにあるネザハット・ギョクイイット植物園に日曜日の式典で植樹される。
TEMAとアリ・ニハト・ギョクイイット財団の協力で行われる式典には、日本からも20人から成る代表団が参加する。サクラは日本人にとって特別な意味を持つ。恋や情熱的な愛を象徴するとともに、春の訪れ、みずみずしさ、新たな出発を知らせる。
■長旅に不向きだった木造船
エルトゥールル号の惨事は、トルコ航海史上最も悲劇的な事故の一つだ。アブデュルハミト2世は1887年、明治天皇のおじが戦艦でイスタンブルを訪れた後、返礼として日本訪問を行うよう命じた。木造船であったエルトゥールル号は、この長い航海に適していなかったにもかかわらず、トルコ製であるという理由で選ばれた。
使節団長はアルバイ・オスマンベイ、船長はヤルバイ・アリベイだった。1889年7月14日にイスタンブルを出航し、11カ月後、横浜港に到着した。3カ月間の日本訪問を終え、1890年9月16日に再び出航した船は、串本町沖の熊野灘で激しい嵐に見舞われ、岩礁に激突し沈没した。
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( 翻訳者:倉本 さをり )
( 記事ID:1116 )