クルディスタン航空、トルコ上空を飛ぶ(Milliyet紙)
2005年09月30日付 Milliyet 紙

ヨーロッパと北イラクを結ぶ初めての直行便がトルコの上空に開設された。9月19日に始まった直行便は、初回からトルコの領空を通過した。この航路の第2便には本紙の特派員も同乗した。

週1回、月曜日にフランクフルトとアルビルを結ぶ路線は、10月13日以降水曜日にも行われ、週2回の運航となる。この便を「クルディスタン航空」の代理店でフランクフルトの中心街にある「ウーラク・レイセン(イラク旅行)」という名前の会社が統括している。同社は、往復780ユーロで3カ月間有効な航空券を販売している。
我々もクルディスタン航空の第2便に乗ってアルビルに行くためフランクフルト空港に向かった。23時55分発の飛行機に乗るための「チェックイン」手続きをドイツの会社が行った。ウーラク・レイセンのドイツ支社長バルザム・エル・ファウツェンと副社長ウデフ・メルファトを除いて、乗客の中にクルド人やイラク人はいないようだ。つまり「クルディスタン航空」と書かれた、黄・赤・赤紫にカラーリングされた飛行機の写真入りの航空券以外に、冊子にもスクリーンにも「クルド」という文字は見当たらなかった。

■予定時刻を遅れて出発

フランクフルト空港2番ターミナルのエプロンの一番端に止まっている、機体に「ハンブルク・インターナショナル」と書かれた飛行機に乗り込むために、非常に厳重なボディチェックを受けた。フランクフルトからヨーロッパ以外の場所に行く乗客は、より厳重にセキュリティーチェックを行うゲートを通される。この時、「イラクの飛行場には日中のみ着陸が許可されている」ため、飛行機の離陸が遅れる見込みであることが伝えられた。ドイツの民間航空会社であるハンブルク・インターナショナルから賃借されている144人乗りのボーイング737型飛行機は、予定時間を遅れてフランクフルトを出発した。機長は、第1便も操縦したユルゲン・カイルであった。
乗客の大部分は、ヨーロッパ諸国から集まったイラク系クルド人である。初めて“クルド航空”で母国に戻ることに驚きを隠せない様子だ。多くの人は以前はトルコ経由でイラクに行っていたが、今は運賃は高くても直行便を選ぶと言っている。110人の乗客の中には、ドイツ人の実業家やアメリカ兵の姿もあった。アメリカ人から話を聞くことはできなかったが、乗客には他にもフランス人1人、ドイツ在住のトルコ人2人がいた。
3216キロの旅は4時間半以上かかり、現地時間の7時20分にアルビル空港に到着した。着陸は、滑走路が短いため少々衝撃が大きかったが、乗客はパイロットに拍手を送った。
トルコの建築会社マク‐ヨルが建てた空港はいまだ建設中であることや、「国際的」という言葉が看板の中だけにあることが分かった。ターミナルの建物のポールには「クルド」の旗だけが掲げられており、イラクの旗はない。
ドバイに行ってからアルビルへ飛び、同日にフランクフルトに戻る飛行機に燃料補給が行われる一方、乗客はターミナルの建物へ歩いて向かった。クルド人の警備員は、空港にいる間ずっと我々に同行し、写真を撮ることを許可しなかった。
着陸後、機長を待ってモニタに写し出された航路が正しいかったのかどうか尋ねた。カイル機長は、「地理に弱いのか?見ていなかったのか?」と冗談めかしながら、トルコの上空を通過したことは確かだとし、「逆はありえない」と言った。機長は、最初の飛行でもトルコの上空を通ってアルビルに着陸したと話し、30人の乗客を乗せた第1便の着陸がテレビのニュースに取り上げられたと話した。
パスポート手続きのための2つの窓口がある。そのうちの一つで、パスポートに「イラク共和国、イラククルディスタン領/アルビル国際空港」の判が押された。事実上行われない税関検査の後、バスで空港の外のとある場所に連れて行かれた。砂塵の中、空き地で待たされた乗客の一部は、家族や親類が迎えに来た。私を含む別のグループは、タクシーに乗って何とか街に向かった。

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( 翻訳者:佐藤 淳也 )
( 記事ID:971 )