1980年クーデターで解散のDİSK、エヴレン大将など欧州人権裁判所に提訴(Milliyet紙)
2005年10月07日付 Milliyet 紙

DİSK(トルコ革命労働組合連盟)は(1980年)9月12日当時の軍指令官を欧州人権裁判所へ提訴した。スレイマン・チェレビー委員長は「エヴレンは『忘れよ』と言うが、我々は忘れもしないし、許しもしない」と述べた。

「9月12日(のクーデター)を忘れもしないし、許しもしない」とするDISKは、ケナン・エヴレン参謀本部長をはじめとする当時の軍指令官を裁判所の審判にかける国内での法的手段が尽きたため、執行部84人の連名で欧州人権裁判所へ訴え出た。
(1980年)9月12日にそれ以前の事件の首謀者とみなされたDISKの執行部メンバーは、彼らが拷問を受けたダヴットパシャ兵舎内の天幕の間を人権博物館にするための許可を求めた。
DISKは9月9日に欧州人権裁判所に提訴した。訴状には当時の参謀本部長や司令官を裁判の上有罪とするよう求める要求や、2004年11月6日にアンカラ検察庁が彼らの要求を却下したことが記された。訴状ではこの決定を不服として2004年12月27日にシィンジャン重罪裁判所に申し出たが受け入れられなかったことも明らかにされた。

■有効な提訴権を侵害

憲法の第15時限条項に照らせば有効であるはずの提訴権を侵害されたと主張するDISKのスレイマン・チェレビー委員長は「エヴレンは『忘れよ』と言うが、我々は忘れもしないし、許しもしない。目下ケナン・エヴレンと当時の軍指令官はDISKの提訴に従って欧州人権裁判所の審理開始を待っている。それでも仲間は未だに電話をし「なぜ裁判を開かないのか」と尋ねている」と語った。
9月12日クーデターの責任追及が行われなかったことを最も明確に証拠づける方法が欧州人権裁判所への提訴だったと言うチェレビー氏は、「我々は尋問や拷問を受け、110日後に検察官の前に引っ張り出された。でっち上げの報告書に基づいて12年も続いた裁判の代償は一体誰が払うのか?」と話した。

■“拷問所”博物館

9月12日クーデターの際にダヴットパシャ兵舎内にある天幕の間で拷問を受けた語るチェレビー委員長は、次のように続けた。「拷問を受けた仲間と集まり、記憶をたどるためにその場を訪れ、見学した。天幕の間は完全に廃墟と化していた。我々は(建物をキャンパスとして利用している)ユルドゥズ工科大学にここを民主主義と人権の博物館にしたいと申し出た」。チェレビー氏は大学からの回答を待たずに再度要望を出したと述べ、「ここが博物館になれば、この種の人道上の罪を犯すことがそれ程容易ではなくなるのだがと伝えた」と話した。

■倉庫で発見された証拠品

DISKは、少し前に倉庫の一つで発見された、ひと部屋一杯分もの9月12日裁判の証拠資料を入手した。DISKのメンバーが裁かれた裁判で証拠品として裁判所に提出された、市場で買った小物の類いからアフメト・イスヴァン前イスタンブル市長の日記、また国家諜報機構(MİT)の報告書から警察の尋問調書、芸術映画に至るまで、あらゆる種類の証拠品が2、3カ月以内に分類され、一般市民に公開される予定だ。

■1400人の容疑者が無罪放免

DISKは1980年以前に起きた出来事の首謀者とされた。クーデター直後からストライキは禁止され、組合員50万人のDISKは解散、資産も押収された。5430人が尋問を受けた。DISK裁判は1981年12月24日に法廷に作り変えられたアタテュルク学生会館で開始された。1477人が裁判で裁かれ、執行部84人が死刑が宣告された。裁判後、容疑者全員が無罪放免された。1991年に軍事最高裁判所が解散決定を無効としたことにより、DISKは活動を再開した。

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( 翻訳者:永井 ひとみ )
( 記事ID:1016 )