映画『ライラがそう言ってる』 地理的特殊性を超えて(アル・ナハール紙)
2005年10月25日付 Al-Nahar 紙
■ ズィヤード・ドゥワイリー監督作品『ライラがそう言ってる』
■ 才能は地理的特殊性を超越する
2005年10月25日付アル=ナハール紙(レバノン)HP文化面
【 J. S 】
レバノン人映画監督ズィヤード・ドゥワイリーの最新作『ライラがそう言ってる』のDVD版が数日前に発売された。これは『西ベイルート』(1998年)につづく彼の二番目の作品であり、すでに今年のはじめに商業映画館で上映され、国内外のジャーナリズムにおいて評論家の好評を博している。
この繊細な作品のDVD版が今回発売されたことで、この将来を嘱望されるレバノン人映画監督にとっては世界的な名声を得る道が拓かれたことになる。とは言っても、今回の彼の作品では、レバノン的な要素は影をひそめている。
ドゥワイリー監督が『ライラがそう言ってる』で映像化したのは、フランスのマルセイユに暮らす思春期の二人の間のラブ・ストーリーである。青年はアルジェリア人で、自分が育ったオリエントの伝統からどうしても自由になれずにいる。また、継承されてきたタブーを避けようとするあまり、心を開いて恋をすることができずにいる。女の子の方は彼とは対照的に、社会的な振舞いにおいても感情の表現の仕方においても開放的である。
この映画における描写はかなり大胆である。ライラの言うことや生き方は心や魂に深く刻み込まれ、我々がどんなに先入観に基づく世界に生きているか、また真実と決まり文句との違いがどんなに大きいかを証明している。
「一般に、芸術家というものを自国の地理的な境界の内に留めておくことは不可能である。私のアイデンティティーと映画観はそれぞれ別個のものだ」とドゥワイリー氏は語り、最新作において地域に固有の関心や問題意識から距離を置く選択をしたことについて説明している。この決意が、もしも背負うことにしていたら彼の肩に重くのしかかっていたであろう重荷からドゥワイリー氏を解放した。
発展途上国出身の映画監督だからといって、祖国が抱える「苦悩」や諸問題から離れて、彼自身の好奇心を満足させるようなもの、感性を惹きつけるものを映像化してはならないのか?いずれにせよ、この一本の映画は、さまざまな面において従来と違ったものに触れる機会を視聴者に与えてくれるだろう。
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( 翻訳者:「南・西アジア地域言語論(アラブ・メディア翻訳)」11月4日 )
( 記事ID:1235 )