16日予定の作家オルハン・パムク初公判、来年2月7日まで延期(Milliyet紙)
2005年12月17日付 Milliyet 紙

 16日、オルハン・パムク裁判のために全世界の注目がトルコに集中した。この裁判は、緊迫状態のなかで始まり、卵や石が投げられるなど抗議を受けた。法務省からの裁判許可が届いていないため、公判は2月7日に延期された。


作家オルハン・パムクは、スイスのある雑誌に掲載された「この地で我々は3万人のクルド人と100万人のアルメニア人を殺害した。」という発言が原因で、国家侮辱罪に問われている。3年未満の禁固刑が求刑されている裁判の公判は2月7日に延期された。この決定は、直前まで手付かずだった「法務省への許可申請」の返答が出ていないためにとられた。

両者それぞれの言論合戦の結果しばしば口論になったこの公判は、55分間続き、欧州議会議員にも傍聴された。パムク氏は人々が退廷した30分後に外に出ることが出来た。

シシュリ初級裁判所では、朝の早い時間から動きが見られた。多くの地元メディアや海外メディアが裁判所建物の前に集まった。初級裁判所に10時45分に到着したパムク氏に対してあるグループが「裏切り者」と叫び、反発を示した。

■EU視察団の反応

シシュリ初級裁判の向かい側にいた2人の人物は、パムク氏がアルメニア人大虐殺に関するボアズィチ(ボスフォラス)大学での会議中止を批判したことに抗議し、プラカードを掲げた。そのプラカードには、「宣教師の子供たち。O・パムク、H・ディンク、H・ジェマル、M・ベルゲ、H・シャーヒン、E・カトゥルジュオール、I・ベルカン」と書かれていた。

欧州議会視察団と関係者の傍聴希望は、シシュリ初級裁判所に混乱と緊張を招いた。公判が予定されていたシシュリ第2初級裁判所の法廷が小さいという理由で、傍聴者達はシシュリ第1初級裁判所の法廷に入った。

裁判官の入廷前、被告側の弁護士席にあるグループのメンバーが座って話をしていたため、仲裁団体の弁護士が反発した。そのグループは、「共産主義者ダニー」の名で知られるダニエル・コーン・ベンディット氏や作家のヤシャル・ケマルも参加していた団体だった。また一部の弁護士は、欧州議会視察団にも反発を示し、「欧州議会は、トルコ司法を監視することは出来ない。」と述べた。
席についた裁判官が、法廷内の混雑の理由について尋ねると、一部の弁護士が「独立した我々の裁判を監視に来た人々がいるのです。」と答えた。

■裁判が滞った

オルハン・パムク氏が入廷して始められた審理は、約55分間続いた。裁判官が書類をあらため、2005年12月2日の決定に従って「罪が犯された日付が旧法の適用を要しているため、被告の審理に法務大臣の許可が必要である。このため、裁判書類が法務省へ送付された。」と述べた。

このときにオルハン・パムクの弁護人ハルク・イナヌジュ弁護士が発言し、「パムク氏は召喚され、出廷致しました。起訴状も我々のところに届いています。書類が(法務省へ)送られていても、パムク氏への尋問は可能だと思います。」と述べた。イナヌジ弁護士は、被告側に害が及ぼされていないことから、仲裁団体の退廷を求めた。さらにイナヌジュ弁護士は、裁判書類が法務省へ送られていることに関して被告側の見解を述べておらず、公正な審理が犯されていると主張した。

裁判所は、許可を得るため法務省へ送られた書類の返事が届くまで、裁判を中断すると決定した。そして審理を2006年2月7日に延期した。


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( 翻訳者:藤巻 晋也 )
( 記事ID:1525 )