ギリシャ系住民のトルコ人虐殺を告発したジャーナリスト、南キプロスを追われ北で教壇に(Milliyet紙)
2005年12月19日付 Milliyet 紙

トニー・アンガスティニオティスは自身の著作「血の声」の中でキプロス侵攻の最中にギリシャ系住民が126人のトルコ人を虐殺したと書いたため南キプロス政府の逆鱗に触れた。彼は現在北キプロスにある東地中海大学コミュニケーション学部で教員を務めている。生徒にも大変満足している。

トニー・アンガスティニオティスは「血の声」という本とドキュメンタリーの中で、1974年8月14日のキプロス侵攻の際にギリシャ系住民がムラター村、サンダルラル村、アトラル村の126人のトルコ人住民を殺害したと書いた。そのため南キプロス当局の怒りを買ってしまったアンガスティニオティスは、北キプロスへの亡命に道を求めた。
南キプロスの政府系放送で「国家反逆者」と宣告され、テレビチャンネル・アルファのテレビ製作者の仕事を失ったアンガスティニオティスは今、東地中海大学コミュニケーション学部の教員を務めている。
家族とともにガージマオサで大学の用意した住宅に住むアンガスティニオティスは、北キプロスのトルコ系大学で始めて授業をした(南キプロスの)教師として歴史に名を刻んだ。

■「最も善良なトルコ人は死んだトルコ人」
同大学で本紙の質問に答えたアンガスティニオスは、南キプロスでは子どもたちに小学校の段階から「最も善良なトルコ人は死んだトルコ人」という思想を子供に植えつけ、自身もこの方針の下に教育を受けたと語った。著作「血の声」の発表に始まり、南キプロスから北キプロスへの亡命へと至った“物語”について次のようにまとめた。
「ギリシャ系住民は1960年代のことを知らない。集合墓地について何も知らない。だからこのことを調査しました。ギリシャ系住民の行った虐殺のことを書くと反逆者を宣告され、私に対するすべての門戸が閉ざされました。どうしたらよいか分からず、仕事もなく、家族も行き場をなくしました。そして北キプロスに来て、東地中海大学でしばらく講演をしました。大学は私を支援してくれて、今期から講師として仕事を始めました。家族を養うためお金が必要でした。北キプロス政府のおかげで収入を得ることができています」。
南キプロス側の誰もが自身を「反逆者」として見ていることについて、同氏は以下のように話した。

■「頭の切り替えが必要」
「南北キプロスの双方が十分に相手のことを知らないでいる。もしギリシャ系住民が事実を知り、真実と向き合うなら、南キプロス政府リーダー(キプロス共和国大統領)のパパドプロスは政権を立てられたと思いますか?いいえ、絶対に無理でした。南キプロスではこの感情の転換のために頭の切り替えが必要です。時間のかかることですが」。
「この大学の最初の授業で『私は南キプロスのギリシャ人です。それで授業を放棄したい人がいればどうぞ出て行ってください』と言いました」と話すトニー先生は、次のように言葉を続けた。
「しかし、誰も出て行きはしなかった。生徒たちの目から私の話を聞いているのが見て取れると嬉しかった。トルコ本土出身のトルコ人も、北キプロス出身のトルコ人も、すべての生徒が私の話を注意深く聴いた。私は熱意を持って働いています。こここそが私の母国です」。

■生徒はどう思っているか
・イェティン・アスラン「南キプロスの先生がもっと前から授業をすべきだった。私たちは同じ国で生きています。南キプロスの先生から彼らが私たちをどう見ているか学ぶことができる」。

・メリイェム・オルン「私も彼もキプロス人。トニー先生をよそ者だと見ていません。同じ言葉を話していなくても同じ国の国民です」。

・タイフン・クルバン「トニー先生をここに来てから知りました。先生が作ったドキュメンタリーや書いた本の中身をその後知りました。人間は平等です。先生と私たちとなんら変わりはないのです」。

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( 翻訳者:堀ノ内 夏子 )
( 記事ID:1541 )