首相、昨日の大統領の書簡に対し「介入は無用」と反発(Milliyet紙)
2005年06月05日付 Milliyet 紙
レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、アフメト・ネジュデト・セゼル共和国大統領の「非合法コーランコース」に対する拒否権の発動、および代理人の役職就任にかんする苦言を受け、「代理人をして役職に就く者を、全くの外部から選任しているのではない」と述べた。
エルドアンは非合法コーランコースの開講者に科せられる刑罰を排除するトルコ刑法の改正案を拒否し、代理人という方法で政府が行った役職就任者問題に関して苦言を呈する書簡を送ったセゼルに対して、昨日厳しい口調で反発した。
『全くの外部から選任しているのではない』
AKP(公正発展党)党員の郡の首長や大臣らとウルダーで行った会議で、首相補佐官メフメト・アリ・シャーヒンの代理人としての登用についての(セゼルの)発表を受け、エルドアンは次のように述べた。「(大統領の書簡は)悲しむべきものであった、そう言わざるを得ない。メフメト・アリ氏が発表を行ったが、彼らはおそらくその恩恵にはあずかれなかっただろう。我々は仕事に十分適任と思われる仲間を上級職に任命したのであって、全くの外部から選任しているのではない」。
エルドアンは次のように語った。
『責任は私がとる』
政府がリスクの基になっている。責任は我々が取ると言いながら、一方では「それはだめだ、こっちにしなさい」と言う(人がいる)が、あってはならない。他に異なる管理体制があるというなら知りたいものだ。このような緊張関係を望んでいない。我々は忍耐強く任務を遂行しているし、憲法違反をしていない。
我々を政治的な材料にして非難する者は、自らを政治の材料にしないよう注意することだ。私はこのことに特に留意している。
『席の番号も明らかだ』
国民からかけ離れて、彼らの要望に注意を払わない人がいる。こうした象牙の塔に閉じこもった、席の番号も明らかなメンバーがいる。彼らは自分勝手に行動し、国民の頂点で国民を痛めつけている。
『死体を誰が洗うのか?』
政治的に職員(役人)の登用をしたと言う人がいるが、自分たちの姿をよく見るべきだ。CHP(共和人民党)も同じ事を容赦なく行ったではないか。我々は政治的な人事でなく、公務員を採用しているのだ。「イマームを採用している」と言う。その通りで、これからもそうするつもりだが... 村で村民が死んだ時に誰が死体を洗うのか?一党支配体制に戻ることは望んでいない。自らの宗教の宗教者に対し、敬意を示さないという考えをどのように受け入れるというのか?
≪代理人は我々の時から始まったものではない≫
イェニ・シャファク紙に寄せた談話でもエルドアンは代理人問題にかんし、以下のように述べた。代理人としての任命は我々の時から始まったものではない。代理人に求められるのは、知性と適任性である。これがあればいいのだ。任命する側がこのことを一番良く理解している。
責任も代理人が負う。我々の前任者がその人事で成功を収めていたら、違法な行動や失敗が明るみに出ることはなかった。
≪辛抱しているとすれば理由がある≫
議会では「統治権は無条件に国民のものである」と述べられている。「トルコには2つの政府が存在する」と言う者もいた。しかし我々は、このような考えとは距離を置いてきたと確信している。仮にしゃっくりするのを耐えているすれば、それには理由がある。緊張関係を望んでいないからだ。
森が燃えるのを防ごうとしている。そのためには何本かの木は燃え、それを犠牲にする。野党第一党の党首は「非合法コーラン教育」と言うが、コーランの教育を受けることが非合法のはずがない。これは98%がムスリムである国民への侮辱である。
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( 翻訳者:井上さやか )
( 記事ID:133 )