キャルバースチー氏、ハーシェミー・ラフサンジャーニー氏を援護
2005年06月12日付 Sharq 紙


6月12日付シャルグ紙1面

8年の沈黙ののち初の会談
キャルバースチー氏、ハーシェミー・ラフサンジャーニー氏を援護

シャルグ:ゴラームホセイン・キャルバースチーは、8年の間沈黙していた。それは2度の大統領任期にあたるが、84年ホルダード月27日の大統領選挙を控えた今しか、彼に話をさせることはできない。これまでに、記者たちは何度も彼に対し新聞社との会談を望んでいたが、キャルバースチー氏はためらいがちに、これを拒否し続けていた。しかし今、どうやらハーシェミー・ラフサンジャーニーの存在が、元代理人のこの人物の興味を引き出し、シャルグとのインタビューの席に着かせたようだ。次の大統領任期の終了が、キャルバースチー氏の官職の喪失を終わらせることになるとしても。
●キャルバースチーさん、ここ数ヶ月反対派は、代理人の復帰について述べ、その危険性について警告を発していますが、代理人は未だ登場する様子がありません。少数派と思われる政党は新聞も持たずミーティングも開くことなく、彼らの精神的父親がいるにもかかわらず、選挙戦で声明の発表すらしていません。代理人たちはいったいどこにいるのでしょうか。
代理人たちが批判の対象となっていること自体がまさに、かれらの存在を示していると思います。さもなければ、どうしてこれほど、一つの話題について消えた反対派の観点から議論が行われるのでしょうか。実際のところ、代理人の考えは、常に彼らの団体よりも社会の中に存在し、ある時期は、代理人の組織はこの考えをスローガンにしています。そしてある時期は、この組織や他の団体、そして代理人の反対派までもがこの原則をスローガンにしています。代理人の3つの基本的スローガン、すなわち、イスラームの栄光、イランの国家建設と繁栄の継続、それらは穏健主義、発展主義、そして理性主義という3つの基本的教理に基づいており、この教理が現在、思想や他の政党において、また特に今回の選挙においては、広く注目されています。
●これらのあなたのスローガンは70年代に存在しましたが、自由と民主主義がとりわけイラン人の社会的要請となる80年代においては、不思議なことに代理人の方針の中に見えなくなっています。なぜあなたは自由というものを重視しないのですか。これは怠慢ではありませんか。
いいえ、怠慢ではありません。代理人は、自由に対する見方を発展に対する見方の延長上に据えて評価しています。例えば熱のある病人について考えてみると、一人の医者として、第一段階は彼が最初の状態に戻り健康になるように、伝染を防がなければなりません。自由の欠乏は、より大きな問題の兆候であり、私たちはそれを発展しないことであると考えます。さもなければ、発展のない民主主義は、混乱によってしか成就することはないでしょう。代理人は、病気を示し、問題(自由と民主主義の欠乏)を浮き彫りにする代わりに、治療方法(成長と開発)を提示するのです。そして基本的に、建設するということがない条件下では、民主主義について述べることは無意味なのです。民主主義は、どの社会においても、その社会の発展と直接的に関わっています。一人当たりの収入が500ドルである国が、一人当たりの収入が2万ドルの国と、民主主義を比較することはできません。基本的に、個人所得1万ドルの国においては、民主主義にかかる費用は非常に高く、民主主義確立の方法は唯一国民の所得率増加と経済の発展なのです。ここに、発展と民主主義の物質的な費用と精神的な価値が互いに結び付いています。未発展の国で民主主義を望むことは一般に、不毛の緊張へと導かれるのです。
 ●そうすると、ハータミー政権による民主主義と政治的発展のレベル向上における努力をどのように分析されますか。彼らは、未発展状況において自由を拡大しようとしたのでしょうか。
偶然にも、政治的発展のスローガンによって権力の座に着いたハータミー政権は、実際、政治的発展よりも経済的発展に力を注ぎました。彼の任期における経済政策の数と注目は、政治領域における成功よりも興味深いものです。
●しかし、ハータミー氏の反対勢力は、改革派による政権は経済を重視しなかった、と発言していますが。
わたしは彼らと反対の意見です。改革派政権も建設路線であったと考えています。
●同時に、政治的発展も進展していないとお考えですか。
政治的前進が少しもなかったというわけではありませんが、経済的発展から類推すると、政治的発展の理想はその支持者たちの期待の割にはやや不十分な成果ではないでしょうか。ハータミー氏が望まなかったからではなく、実際には政治的発展は、我々が経済的発展の理想的段階にたどり着いていない条件下では、実現しません。もちろん、現在の政治的成功の度合いは、一面では多大な努力と、過去16年間において行われた政策の結果ですが、それ以上の能力はなかったのです。われわれがより発展していけば、それに従ってより民主的になるのです。


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( 翻訳者:北川晃久 )
( 記事ID:218 )