内閣3大臣が交代、首相がテレビカメラの前で突然発表(Milliyet 紙)
2005年06月03日付 Milliyet 紙

農林大臣サミ・ギュチュル、国務大臣ギュルダル・アクシット、そして公共事業大臣ゼキ・エルゲゼンは首相の意向により辞職する。ギュチュルの代わりにはメフメト・メフディ・エケルが、エルゲゼンの代わりにファルク・ナフィズ・オザク、アクシットの代わりにはニメト・チュブクチュが職を得た。

首相のレジェプ・タイイプ・エルドアンは待望され「時が来れば行なう」と自ら話していた内閣改造を昨日実行した。解任が予想されていたギュルダル・アクシット、サミ・ギュチュル、ゼキ・エルゲゼンはエルドアンの意向により大臣職を辞した。女性、家族、社会福祉担当国務大臣アクシットの代わりにはイスタンブル選出国会議員のニメト・チュブクチュが、農林・村落大臣であるギュチュルのポストにはディヤルバクル選出国会議員のメフメト・メフディ・エケルが、公共事業大臣としてエルゲゼンのポストにファルク・ナフィズ・オザクがそれぞれ職務に就く。
エルドアンは昨日大統領アフメト・ネジュデト・セゼルとの会合の後、突然カメラの前に姿を見せ、3人の大臣が辞職を望んでいることを示唆し「我々の同僚は、心からの勤勉な働きにより我々の間で高い評価を受けていた。任務を変更する必要性を認識したに違いない。辞職していった」と述べた。

エルドアンは、辞職は彼ら自身が望んでいたものであったのかという問いに「みなさん、おかげさまで我々の前途は開け、我々は与えられた評価を生かしている。どんなふうに、なんのために、といったことは政府内部での話だ」と述べた。大統領に新組閣リストは見せたのかという質問には「言うべきことは言った」と答えた。さらにエルドアンは「アクシットとエルゲゼンは健康問題により辞職したのか?」という問いには「すべて言い尽くした」と返答した。

■エルドアンは辞意を知っていた

「組閣の際、大臣の辞意を受けたといっていましたね。それを実行したということですか?」という質問にエルドアンは、「それは政府の中で決められることだ。方向づけは内閣のなかで決められる。すべての内閣で起こりうることだ」と言った。エルドアンは辞表を利用したことがわかった。

■三人とも驚きはない

健康問題により職を離れるだろうといわれていたアクシットは、ラジオ・テレビ高等組織が暗号化されたポルノチャンネル閉鎖決定を下した後で批判されていたことを公正発展党はしっかり覚えていた。
ギュチュルはロシアのトルコからの野菜、果物、花の輸入制限の後で批判された。エルドアンはギュチュルに対し「職務怠慢だ。全ての問題についてプーチンに電話をかけろというのか。あなたがやるべきことをやるべきだ」といったらしい。
エルゲゼンの辞職にも驚きはなかった。エルゲゼンの兄弟オメル・ファルク・エルゲゼンが、イズミル国家教育局が行なう320万人の小学生が参加する試験問題の印刷・配布・評価業務の入札で落札していたことが明らかになったのである。

■追う者と追われる者が鉢合わせ

ギュルダル・アクシットとニメト・チュブクチュは自分たちの権限に関する決定が明らかになるほんの少し前、公正発展党イスタンブル女性支部局開催の第二女性評議会に出席していた。アクシットは11時に大臣として開会演説を行った。アクシットは、女性の地位向上と強化のためにより影響力のある行動をとっていくと述べた。午後には、エルドアン首相の妻エミネ・エルドアンが開会演説を行った後に、ニメト・チュブクチュはパネリストとして演台に登った。アクシットは聴衆として最前列でチュブクチュの講演を聞いた。このパネルはエルドアンが決定を公表する約30分前に終了した。

■大臣職についたという知らせをディンチェルから得た

オザクとエケルは登用の通知を受け取ってから、首相府でエルドアンとしばしの間会談した。エケルは通知をエルドアンが公表する「ほんの少し前に」知らされたことを明かし、オザクは通知を首相顧問オメル・ディンチェルから受け取ったことを告げた。エルドアンからなにか要望があったかという質問にエケルは、「閣僚への期待とはつまり、たくさん働くことだ」と述べた。エケルの娘のゼイネプ・エケルは母親と共にテレビを見ているときに父親が大臣になったことを知り「すごく驚いているしとても嬉しい」と述べた。

■私はより清潔、より勤勉になる

チュブクチュは昨晩国務大臣として行った最初の会見で次のように述べた。「我々の国の将来を作るうえで、この自分の地位の重要性と責任は理解している。私個人に対する信頼に応えるよう約束する。私の成功は国の成功だという強い確信がある。だから、私は普段よりもっと清潔で、勤勉で注意深くならなければならないのは確かだ。この任務に対し今日まで費やされたすべての苦労をこれからの仕事の基礎として働いていくことをお伝えしたい。遠慮せずにやっていきたい。」

■とてもいいフリーキッカー

ファルク・オザクは、人気サッカーチームのトラブゾンスポルが第1リーグに昇格した74年から75年のシーズンの間キャプテンを、92年から96年の間にはクラブの代表を務めた。オザクは政界入りの申し入れを長年拒否し続けた後、遂に政界入りする時期がきたといって公正発展党に加わった。黒海工科大学建築工学科卒業。英語の堪能な二人の子供を持つ。オザクの妻のヴェルダ・オザクはスカーフをしていない。61歳のオザクについてエルドアンは集会で「ファルクはいいフリーキックを蹴る」と述べたらしい。

■元市職員

メフディ・エケル:農林・村落省副長官のエケルは、エルドアンのイスタンブル市長時代に獣医局長の任務についていた。狂牛病に汚染された疑いがある食肉と関連製品の輸入を96年から3年もの間許可したといわれている官僚の中にエケルもいた。公正発展党中央決定運営委員会のメンバーであるエケルはアンカラ大学獣医学部を卒業し、三人の父親でもある。

■二番目に若い大臣

ニメト・チュブクチュ:公正発展党中央決定運営委員会のメンバーであるチュブクチュはエミネ・エルドアンと非常に親しく、エミネ・エルドアンの遊説に参加した。公正発展党の創立メンバーである。憲法会議で「積極的差別」つまりアファーマティヴ・アクションを支持しなかったといって女性団体は彼女を非難したが、弁護士であるチュブクチュはこれら女性団体を告発した。65年生まれの彼女は、現政権では国務大臣アリ・ババジャン(67年生まれ)の次に若い大臣である。


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( 翻訳者:山 )
( 記事ID:112 )