Milliyet紙 Taha Akyol コラム「フランスのEU憲法否決の根底に流れている精神」
2005年06月07日付 Milliyet 紙

(フランス、オランダのEU憲法否決をうけ)一般的には、「ヨーロッパ合衆国」計画は死んだも同然、と見られている。EUはもはや「連邦国家」ではなく、経済優先の「国民国家集合体」への道を歩もうとしている!
 「ヨーロッパ連盟」を殺したのは、なんといってもフランス人だ。英誌TheEconomistは気の利いたシンボリズムを用い、フランス革命を描いた有名なある絵を今週号の表紙にして、このことを婉曲に表した。ダヴィッドの有名な油絵は、革命の怒れる闘志マラーが浴室のバスタブで刺殺された状況を描いている。マラーは体を覆う湿疹治療のために毎日一時間バスタブに薬入りの湯を張り入浴していた。革命の血生臭い騒動に反対するシャルロッテ・コーデイという名の少女が心臓を一刺しバスタブでマラーを殺害した。絵ではマラーのペンを握る腕が生命感無くだらりとたれさがり、書きかけの文書が途中で終わっているのが描かれている。

フランスとオランダの国民投票によってEU憲法はこのように頓挫した。しかし、実を言うと私は全く悲しんでいない!
「ブリュッセルの横暴な官僚主義」は私をもいらいらさせるものだ。国民に対し政治上責任を負わず、遠くにあり、ブリュッセルで建設した豪華な城から勅令を浴びせかける「ヨーロッパ官僚」に対し国民が反対し始めたこと、また国民に対して最低限4年に1度は選挙で責任と答う「(それぞれの)国民政府」が優先されることは、確かにとてもよいことだ・・・
この点でド・ゴールのフランスを実を言うと私は愛する・・・しかし、フランス人が「反対」といったことの本当の要素は、右派と左派の過激主義、社会的偏執、反トルコ主義、ジャコバン主義的な横暴さというようなものでる。
オランダの「反対」にも、反トルコ主義や外国人排斥が重要な役割を演じた。もしも「反対」が単にブリュッセル官僚主義に対するものであったなら、実りある新しい計画の基礎に成り得ただろう。しかし、実際には、「反対」が排他主義的、自己中心的、偏狭で反自由主義的なヨーロッパへと道をひらく危険がある。

フランス人の政治文化が私を更に不安にさせる局面は、-そのことを私達はよく知っているのだが-、偏執や固定概念が最高潮に高まっていることである。
本紙特派員ゼイネル・リュールは、ブリュッセルから次のように伝えている。
「フランスは、国民投票のつけをトルコに払わせる準備をしている!パリは、EUがトルコに約束している資金の執行にブレーキをかける予定だ!」
ゼイネル・リュールは続ける:
「パリは10月3日にはじまることになっているトルコのEU加盟交渉を「不明瞭なもの」にしようとしている・・・」
ゼイネル・リュールはさらに、
「パリはトルコを「特権的パートナー」(として、加盟も見送る)の提案に向けて、EU諸国と会合を持ち始めた・・・」

フランス的精神は残念ながらどうしたって表れてくる。ジャコバン的偏狭、横暴、偏執やこだわり・・。あたかもマラー・シャルロッテ症候群である!
今日、フランス的精神のなかに、「トルコへのこだわり」が形成されるつつのあるのでは、と危惧される。フランスは10年間労働組合を恐れて経済改革を行わず、フランス経済が停滞し失業率が過去最高になったが、その罪をトルコのせいにしようとするかのごとくだ。

最近ロバート・ギルダーのFrance Since1945という本を読んでいて、次の点が私の注意を引いた。
1957年頃、右派左派はヨーロッパ統合に関し、この件での反対で一致した。また、フランス人左派の有名な政治家であるピエール・メンデスは1957年の「フランスの6月」運動で有名な演説を行った。
「フランス人諸君!ドイツが産業界で支配者となること、イタリア人失業者がわが国に溢れかえることの危険性に対してあなた方を警告しよう!」(St.16)

ごらんなさい、このこだわりと、この考え方!半世紀の間で何が変わったというのだろうか?しかし、こだわりは、(人々を悪い方に導く)よくない思想の導き手である。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:松本 沙知 )
( 記事ID:188 )