2005年6月7日付 シャルグ紙「本」面
「72派による争いは皆、許せ
彼らは真理を知らず、作り話という虚構の世界を辿ったのだから」
『イスラーム神学における信仰の概念』は、既に亡くなられた日本人イスラーム研究者で、我々イラン人にもその名が知られている著者の井筒俊彦教授(1914~1993)の名前もあり、神学の研究者または興味を持つ人々の注目を集めてきた本である。本書は信仰、不信仰、偽善、その他の命題に関する宗教的諸概念についての見解を、イスラーム神学の歴史に沿っておこなっており、信仰の概念を研究しつつアシュアリー派、ムウタズィラ派、ハワーリジュ派のような神学上の諸宗派の思想の傾向についてもふれている。
読者はこの本を読み終えた後、それらの諸宗派について全体的な総括ができるほどである。本書の方針は、神学上の諸々の運動の研究において、意味論的分析、つまり、諸々の概念や技芸的用語を、字義的・語源学的観点から分析することである。言い換えれば、神学上の一つの運動を研究する際、その宗派が「信仰」「信徒」「不信仰」といった宗教の根本的な概念についてどういった定義・状況・証明を見解の主流にしているのか、という重要な事柄に、著者は着手しているのである。
その後、「同時代的」「時代的」に、これらの諸概念に対する様々な宗派の見解の同意と相違を並べている。もちろん井筒氏がイスラーム教徒ではないという点を考慮して言うことではあるが、後に述べる数ヶ所の先入観や慣習的価値観の見られるところを除いて、氏は自身の能力の限りを尽くして本書を著している。このように、我々はこの本の中で、互いの宗派を通じてや位置的なつながりを通じてではない、数多くの見解が並んだ「中立」に直面する。そして著者は我々に、自身で判断にたどり着く自由を与える。
しかしながら、本書を読んだ後に気にかかる問題は以下のようなものである。即ち、井筒氏は「マーリスィー派」、「ユーヌスィー派」といった最も小さな宗派の見解でさえ無視せず全体または要約で述べているという注意深さを持っているのに、何故シャリーフ・モルタザー(シーア派・ムウタズィラ派の神学者で、上記の諸宗派を全てムウタウズィラ派として分類した)を除いたシーア派指導者たち――ジャアファル・サーデク、アリー・ビン・ムーサー、ハサン・アスキャリー等――の見解について、何一つ言及しなかったのか。尊敬すべき著者がシーア派神学を、互いに近くはあるが当然多くの相違があるムウタズィラ派と一緒に捉えている、という事があり得るだろうか。もしくは、一つの神学的運動としてのシーア派に対して、氏は意見を持っていないのだろうか。
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( 翻訳者:中西悠喜 )
( 記事ID:268 )