我が国でスカーフ論議がありったけの早さで進んでいる。気をつけて欲しいのだか、この論議はトルコ女性の伝統的な被り物ではなくて、トゥルバンと言われる全く別のものなのだ。
まるで制服だ。首から踵まで包み込むコートと、その上に髪を完璧に覆う、後ろでしょい前では首から腰まで垂らした布。さらに額のバンド。
そう、ある種の制服なのだ。アラブやイランから近年取り入れた事象だ。何年も前のことを考えてもらいたい、ムスリムトル我コ女性はこんな格好をしていただろうか?
悲しいことに、確かな人物や政治家は神聖な私たちの宗教をこの制服に約分(還元)したのだ。ムスリムであること、この素晴らしい宗教は、彼らのお陰でトゥルバンと同一化した。EUに加盟しようとしているトルコのを協議事項をトゥルバンが決めようとし始めたのだ!
一方で「スカーフ禁止を終わらせる」と叫ぶAKP政権は、一方で公的領域でこの禁止の継続に味方しているのだ! 議論は目まぐるしく展開されている。
***
今この面からAKPの、つまりは現在の政治的権力者の態度を見てみよう。禁止の始まりから味方なのだ。そのようにはっきりと言っているのだから。
首相、外相、国会議長、そして殆どの人が同じことを言っている。
演壇で演説している、声明を出して、思いつきで騒いでいる:
「この禁止は恥ずかしむべきものだ。この禁止は取りやめられるべきだ。私達が取りやめるだろう」
この中でアブドゥッラー・ギュルなど幾人かはトルコ政府に対して欧州人権裁判所に裁判を起こし賠償金さえ取ろうとしたのである。
今は、ホラを吹くことや、宗教の抑圧をすること、演説をすることや、声明を出すこなどは横へ置いておき、問題の核を、現実を手短に見てみることにしよう。
君は権力者なのかい? 君の国会には356人も議員がいるのかい? 君が好きな時に五分でベシクタシュ法で好き勝手に法律を出すのかい? 君の国会の頭数は憲法さえ変えられるというのか?
この全ての問いの答えは「イエス」だ。
この状態でスカーフ禁止を彼らはなぜ廃止しないのだ? そのために法律を作る必要があるというのか? 作ればいい。憲法改訂が必要だって? すればいい。
すぐに。今すぐ、一日も待たずにやればいい。本質はこうだ:
「トルコの公的領域を含むすべての場所でスカーフ禁止は廃止されました。望む者は誰でも公的領域で―一般道徳に反しない条件付きで―望んだ服装をし、仕事をすることができる」
おぉ、好きにやってくれたまえ! じゃあ、どうなるというんだ、この「自由」は?
「望むすべての公務員と、初等、中学高校、大学の学生達は、職場や学校に好きな格好をして行くことができる。自由な理解の面からこの問題のすべての禁止は廃止された」
すべてとは?
「黒いチャドル、スカーフ、巻くターバン、トルコ帽、ジュッぺ(イスラームの法衣)、シャルヴァル(もんぺ型の服)、ズボン、ミニスカート、サンダル…
そうだよ、AKPの首相、大臣も他の者も、スカーフ禁止の廃止すると口の中でガムのように噛んで繰り返している。スカーフを廃止して、他のを禁止範囲に入れることは「EU基準に」沿わない。「自由主義的態度に平等の原則」に全く沿わない。
スカーフに自由になる、黒いチャドルは追いやる! できるのか? 無理だ!
スカーフを着た者は楽になる、トルコ帽やターバン、ジュッぺを着たい男性諸君は禁止されるというのだ!これはならない!
大学で学生にスカーフの自由を与えて、それより歳の小さい生徒達には与えられない。これもダメだ!
公務員はスカーフ巻いてはいけない、スカーフの自由は学生達にだけだ。
いいのか?ダメだ!
演壇で女性裁判官、授業では女教師、職場や道では女性の警官―もし彼女達が望むなら―なぜ頭にスカーフがあっていけない?
エミネ・エルドアンやハイリュニサ・ギュルのような人達に「髪を隠す、ユニフォームを着る自由」があるのに、彼女達には無いと言うのか?
***
今AKP政権にもう一度言う:
あなた達の手には数的な強さがある。演説したり、声明を出したり、スカーフ禁止を批判したりするのは、横に置いて下さい。人々をこういう手段で忘れないで下さい。あなた達には数的な強みがある。憲法を変えるのですか、法律を出すですか、他のことをやるのですか、お好きになさって下さい。この禁止を―今すぐ直ちにもっとも早く―急いで廃止して下さい。さあ何を躊躇しているの? 反対の評価ではあなたたちの名は「禁止屋の政権」になるだろうね!
ほらどうぞ、さあやってくれ!
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:池田 慈 )
( 記事ID:334 )