シャルグ、我らの声 ハーシェミー、我々の選択 シャルグ紙
2005年06月22日付 Sharq 紙

2005/06/22 (水) シャルグ紙一面
モラード・ヴィースィー(エグバール新聞編集評議会委員)執筆コラム

 《シャルグ新聞》と《エグバール新聞》のライバル関係は、ハーシェミー・ラフサンジャーニーとモイーンとの間のライバル関係に似ている。

 モイーンがいない今、我々はハーシェミーを支持する。そしてエグバール紙がない今、我々はシャルグ紙の声がより遠くまで届くよう努める。我々にはこれまで意見の相違があったし、今もある。しかし、この明らかに現実に存在する違いは、今日の民主主義と改革を協力して防衛し、急進主義との対決するために、我々が一つの塹壕に集まることを不可能にする程の違いではない。

 今日、たとえエグバール紙がなくとも、シャルグ紙の声高な叫びがある。今日、シャルグは我々のライバルではなく、我々の声である。

 これまでと同様、シャルグ紙の声は我々の声とは非常に異なるものだ。しかし、民主主義防衛という共有された感覚が、シャルグ紙に投書し、それについて議論するよう命ずる。(中略)

 もし昨日まで、エグバール紙があるにもかかわらず、シャルグ紙で記事を書いたとすれば、それは新聞を所有している我々にとって、プロフェッショナルな行為とは言えないだろう。しかし今日では、シャルグ紙に記事を記載することは、プロフェッショナルな行為であると同時に、不屈の精神の表れでもあり、また絶対に必要な行為でもあると考える。もし我々が、例えば昨日、ハーシェミー・ラフサンジャーニーを支持したとすれば、だれも我々を信用してくれないであろうし、我々の政治的原則・信念もそのような行為を許してはくれないだろう。

 しかし、今はこれまでとはまったく違う。ハーシェミー・ラフサンジャーニーを支持することは、民主主義の存続そのものであり、また我々の信念そのものでもある。

 今や、シャルグ紙は我らの声であり、ハーシェミー・ラフサンジャーニーは我らの選択である。明日、民主主義と改革に対する、ここ数年で最も困難な障害と最も深刻な脅威を越えることができれば、我々はそれぞれもう一度自身の元の姿に戻り〔注:シャルグ紙と共闘することを表明したエグバール紙が、再びシャルグ紙から離れ、エグバール紙としての活動を再開するということ。なお、6月27日現在、いまだエグバール紙は活動を再開していない(発行禁止処分が解けていない)模様である〕、ただ、我々の共通の信念を守り通したことに対する、永遠かつ誇り高き記憶のみが残るだろう。

我々の共有された感覚は、我々にこう言う。我々は皆〔1906年にイランで初めて生まれた〕立憲体制の子であり、スーレ・エスラーフィール〔注:立憲革命期の新聞の名〕と、ファッロヒー・ヤズディー〔注:イランの詩人〕の遺産相続人である。彼らには降伏の意志も沈黙の日もない。

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( 翻訳者:村上遥 )
( 記事ID:312 )