イスタンブル市編集『イスタンブルの歴史』に反共和国的記述(Milliyet紙)
2005年07月06日付 Milliyet 紙

イスタンブルで開催される第22回世界建築家会議の外国人参加者用に、イスタンブル大市役所が英語による街の案内冊子(Istanbul City Guide)を用意した。この冊子の中に、共和国宣言がイスタンブルにもたらした結果を公然と批判する記述があることが分かった。
最も厳しい表現は、共和国宣言が「イスタンブルの歴史的ステータスと名声を失墜させた」というもの。他方で修道院の閉鎖が街の「豊かなイスラム神秘主義の歴史を失わせた」とも主張している。

■一党体制
イスタンブルの歴史について詳しく説明したこの冊子は、会議の参加者にイスタンブルに縁のある記念品とともに無料で配布される。
批判的な表現は「共和国時代のイスタンブル」という章の「一党体制下のイスタンブル」という見出しの部分に展開されている。
この章には、共和国宣言により首都でなくなったことや人口の減少などが「街のアイデンティティを薄めた」と記されている。さらにイスタンブルの「宗教的、建築的、文化的な集積が台無しになった」とも表現している。
冊子では、共和国がイスタンブルをないがしろにし、当時の全ての優先権をアンカラの首都化に充てたと説明している。
イスタンブルが2千年の歴史で初めて他の都市から命令を受け、また、配分されるよりも多くの税金を納めざるを得なかったことも再び批判的に取り上げている。この時代にイスタンブルの歴史的ステータスと名声が失墜し、宗教的に見てもイスラム世界のカリフの地としての称号や豊かなイスラム神秘主義の歴史を失ったと記されている。
またアヤソフィアが寺院から博物館に転向されたことについても「議論の余地のある決定」と批判的に論じている。
一党体制時代を厳しく批判する一方、続く民主党時代に実現された都市計画には大いに賞賛している。
冊子で注意を引くもう一つの点は、民主党後の時代について、いかなる政党や市長にも言及していない一方で、イスタンブル市の「エルドアン市政」を再び賞賛していることだ。

■議論の余地ある内容
同書のイスタンブル史を解説した部分はまた、議論の余地ある情報で満ちている。例えば、イスタンブルの占領からの解放を説明する際に祖国解放戦争やアタテュルクには言及していない。
オスマン朝のスルタン、アブデュルハミト2世の教育政策の重要性や開校した学校については詳細な記述があるのに、共和国宣言後にイスタンブルで開設された大学や、今日の研究・教育水準については一切言及がない。歴代のビザンツ皇帝とオスマン朝スルタンの肖像画入りリストと各時代に関する詳細な記述がある一方、アタテュルクについては唯一「博物館」の項目で「アタテュルク博物館」について触れたほんの数行の記述があるだけである。

■“中身についてはよく知らない”
イスタンブル大市役所企画局長、ラーイフ・イナン氏の話:
「その本は市が準備した。編集したイブラヒム・ウスル氏とは面識があるが、もう一人の編集者、アルタン・ビュユクユルマズ氏は知らない。ウスル氏はベルサイ社で働いていた。今はANAR調査会社の社長だ。本を編集したときはおそらくそういう役職には就いていなかっただろう。ベルサイ社でアリ・サイダム氏の側近だった。私はオーガナイズに関わっていただけで本の中身についてはよく知らない。もしよければ、この話をよく知っている人物を探して紹介しよう」。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:塚田真裕 )
( 記事ID:393 )