カプランとビンラディンの関わりが明らかに(Radikal紙)
2005年07月23日付 Radikal 紙

「憲法に基づく体制を武力で変革しようとした」かどで終身刑の判決を受けた、「イスラーム共同体連合/アナトリア連邦イスラーム国家」の指導者メティン・カプランが、アルカイダの指導者オサーマ・ビン・ラディンと関わりを持ち、共謀計画を立てていたことが明らかになった。
 イスタンブル第14高等裁判所は、カプラン裁判の訴状をまとめた。207ページに及ぶ判決文の中で、カプランからビン・ラディンまでつながる国外関係が注意を引く。判決文には、同組織の“ムハンマドのウンマ”という刊行物から引用がなされている。
「グループの幹部が1997年にアフガニスタンに潜入しウサーマ・ビン・ラディンを訪問した。カプランはラディンの生き方に感銘を受けたとされる。ラディンは“世界各国で殉教が相次ぐにも関わらず、トルコでは殉教者が非常に少ないことを残念に思う”と述べた。これを受けてカプランはアフガニスタンのキャンプに自分のグループから14名を送った。アフガニスタンのラディンのグループと関わりながら、このテロリスト集団は武力訓練の機会を与えるキャンプを利用して活動した。ヒジュラ歴の新年となる1999年4月17日、同組織はアフガニスタンで祝典を計画していた。」
判決文の中では、両グループがアメリカを標的にしていたこと、トルコやヨーロッパの大都市で大規模な行動を計画していたことが明らかになった。


********************本記事への解説********************
トルコにも数多くのイスラーム組織が存在するが、イスラーム運動に対する国家の厳しい統制のため、過激な組織は少ない。そのためトルコでのアルカイダの影響力は非常に限られており、組織的なつながりを示す事例もない。
 一方トルコのイスラーム勢力でもっとも過激なグループは、ドイツで活動していたイスラーム共同体連合(カプラン派、カリフの国家とも言われる)である。同組織は、1970年代末にメティン・カプランの父であるジェマーレッティン・カプランによってトルコで結成された。1980年の軍事クーデター後はドイツ・ケルンに拠点を移して活動を続け、父の死後は息子のメティン・カプランが跡を継いでいた。彼らは国家原則である世俗主義を真っ向から否定し、トルコにおけるイスラーム国家建設を主張した。1998年のトルコ建国75周年記念日にアタテュルク廟を小型飛行機で攻撃する計画が事前に発覚して未遂に終わったが、1999年にはトルコへの聖戦を宣言した。2001年9月11日のテロ以降、ドイツ当局が国内のイスラーム過激派の摘発に乗り出すと、同組織はアルカイダとの組織的なつながりこそは明らかにならなかったものの、テロ組織として活動を禁止された。メティン・カプランは2004年6月に国外追放となり、トルコに身柄を引き渡され、2005年6月に終身刑を宣告されている。
(カプランへの判決に関しては以下参照 http://www.milliyet.com.tr/2005/06/21/guncel/agun.html 本ページに翻訳あり)(文責:大島 史)

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:大島 史 )
( 記事ID:504 )