Erdal GÜVENコラム「カリモフの金襴の衣」(中央アジア関係)(Radikal紙)
2005年05月20日付 Radikal 紙

カリモフは、9・11直後から明快かつ周到な(少なくともカリモフ自身と現体制にとっての話だが)ふたつの策を講じた。まず、空軍基地のひとつをアメリカに提供したこと、次に、自らに対する反対勢力を、イスラーム原理主義者と定義してしまうことである。状況がそうであったがゆえに、ウズベキスタンは程なくして、アメリカの中央アジアにおける第一の協力国となった。以降、投資もアメリカからの政治的、軍事的支援も望み通り・・・無論、アメリカは、カリモフが反対派を「煮えたぎった湯で茹で上げる」ほどの薄汚れた身なりであることを知らないわけではない。知ってはいても、だからと言って、直接、あからさまにカリモフの頬をぶん殴るようなことはしないのだ、少なくとも現段階では・・・

タカ派もハト派も、世俗派もイスラーム派も、あらゆる反対勢力にとって、ウズベキスタンは好都合な土地である。何よりもまず、民衆の困窮、体制による抑圧がある。際限のない不正、拘束・・・

民衆は体制に心底うんざりしているのだ。一方で日々のパンと仕事への不安は一層募っていく。フェルガナ盆地で最も発展した都市であるアンディジャンを中心とした昨今の事態の原動力は、中央政府の抑制策に対して、とりわけキルギス向けの国境交易で財を成した、つまり、独自の方法で飛躍した在地の実業家たちであった。カリモフは、この実業家たちが次第に地域の民衆にとっての強力な拠り所、つまり、自らの体制にとっての脅威の種となりうると認識して、「アクラミーヤ」というシャリーア的教団の道場を閉鎖し、同教団のメンバーであるとしてこの実業家たちを収監したのである。結果はご承知の通り、民衆は実業家たちの側に立ち、カリモフは体制の側に立った。

無論、事の顛末を、ウズベキスタンの政治と体制の根底を流れる、地域閥間の衝突と見ることもできる。昨今の事態を、フェルガナ閥とタシケント閥の利益衝突と捉えることも可能である。(ちなみに、ウズベキスタンには、もうひとつサマルカンド閥が存在する。)

ウズベキスタンの反政府勢力の中にイスラーム原理主義勢力がいない訳ではない。タリバーンやアル・カーイダと関連のあるウズベキスタン・イスラーム運動がそうだ。但し、これまでの議論で明らかなように、ウズベクの反政府勢力がたったひとつのの特徴しかないわけではない。原理主義は反政府勢力のひとつに過ぎないし、反政府勢力には少なくとも3つの流れがあるのだ。

カリモフにとっての本来の脅威は、原理主義によってではなく、民衆に広く浸透した、世俗ナショナリズム、あるいは、良識あるイスラームを代表する反政府勢力によって形成されていた。彼らを(国内外で)原理主義者とレッテルを貼り立憲制を骨抜きにしようとするのは、そもそも、この理由からである。

ウズベキスタンは反対勢力にとって好都合な土地であると同時に、反対派でいることが相当に困難な国でもある。体制の情報網は広範かつ機能的であり、(監視の)目や耳はいたるところにある。1ヵ月前に国際市民団体を門前払いにしたカリモフは、先週、自国の民衆に対して発砲するのをためらわなかった。つまり、ここでは、シェヴァルドナゼやアカエフのような男について論じているわけではないのだ。

ウズベキスタンの反対勢力が多様化した結果、分裂し統一性を失ったことも、カリモフの行為をやり易くしている。レバノンでの例のように、相互の違いにもかかわらず共通の目標に向かって反対勢力の首脳が団結することは、極めて可能性が低いように思われる。ここでは、思想的な差異と組織不足のいずれもが障害となる。つまり、反対勢力にとってのユシチェンコやサアカシュヴィリ的な人物はいないのだ。そして結局のところ、これらのマイナス要素を克服することが不可能ではないにしても、最も状況を左右する要素は、アメリカのウズベクの現体制に対する比較的好意的な態度なのだ。一方では「自由の灯」について語り、民衆革命を賞賛していながら、他方ではカリモフのような独裁者のためのシートベルトのような効果を許している相矛盾した(アメリカの)ダブル・スタンダードと、ブッシュの構想の信憑性を考えれば、(両者の蜜月は)そう長続きする政策であるとは思われない。揺らぎやぶれがどれほどあろうと、アメリカが手を退くことがなければ、カリモフの金襴の衣が剥がされることはないのだ。



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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:47 )