エジプトテロで犠牲になったトルコ人新婚夫婦:1週間の旅行延期が仇(Milliyet紙)
2005年07月25日付 Milliyet 紙

ビルゲハン・ヤルチュンとチャーラ・ヤルチュン夫妻はエジプトでの二度目のハネムーンのような休暇を夢見ていた。アジア・ツアー会社が経営危機に陥ったため旅行は延期された。他の旅行代理店を使って一週間後に旅立ったエジプト旅行で爆弾の被害にあった。

 結婚期間は一年にも満たなかった。彼らはハネムーン後初めてのバカンスの地としてエジプトにこだわっていた。いつも夢見ていたエジプトでハネムーンのように過ごせるはずだった、過ごしていたのだが…。最後の晩のことだった。翌日には帰国し、今日には仕事をしているはずだった。手をつないでタクシーを待っていた、爆弾が爆発するまさにその瞬間までは。
 ビルゲハン・ヤルチュン(27)はサカリヤ大学産業工学部を卒業した。のちにチャーラ・ジュラ(25)と出会った。チャーラはイスタンブルのアカ・カレッジの英語教師で、ビルゲハンはアダパザルの製薬会社で働いていた。

■つらかった遠距離
 初めて会ったときからお互いに意識しあっていた二人の若者は別々の町に住んでいたが、間もなくひっきりなしに電話をかけ合うようになった。ビルゲハンはこの離れ離れの状況に耐え切れなかった。愛した女性のために職を離れ、イスタンブルに引っ越した。ビリム製薬の求人に応募した。この間にチャーラも職場を変えた。私立アカ・カレッジからウウル・カレッジへ移った。

■死が二人を分かつまで
 ビルゲハンは2003年12月3日、新しい職場での仕事始めの日に、ある人生の決意も固めた。この決意は、チャーラへ申し込んだ結婚によって現実のものとなった。二人の若者は2004年8月28日にシシュリ区営結婚登録式場で結婚した。もう「死が二人を分かつまで」一緒だった。イスタンブルでの結婚披露宴のあとビルゲハンの故郷であるガズィアンテプで二回目の披露宴を行った。
 夏が近づくと彼らは休暇の計画を立て始めた。チャーラの一番の夢はエジプトでの休暇だった。ビルゲハンは妻のこの望みを叶えるため、アジアツアー会社でエジプト行きの準備を7月11日に済ませた。しかしアジアツアーはその後経営危機に陥り、客への責任は果たさず、夢も水の泡となった。ビルゲハンは、妻の夢を叶えられないことを深く悲しんだ。アジアツアーからお金を一部取り戻すと、新しく別の旅行代理店を探し始めた。

■ 友人たち「行くな…」
 仕事仲間が「エジプト行きは諦めろ。地中海方面へ行けよ。それに今エジプトはすごく暑いぞ」と言ってもビルゲハンは頑なだった。「だめだ、チャーラがすごく行きたがっているんだ。それに暑さだったら、イスタンブルだってほとんど変わらないよ」と言った。その後別の旅行代理店と契約した。チャーラとビルゲハンは一週間遅れで夢の休暇を過ごすためエジプトへ飛んだ。
 しかし戻ってくる前日の晩に爆発した爆弾によって、二人の若者の運命は暗転した。ビルゲハン・ヤルチュンは事件現場で亡くなり、妻のチャーラは重体で病院に運ばれた。チャーラは今体の傷の痛みに苦しんでいる。意識が戻れば、人生のパートナーがもう生きてはいないことを知ることになる。そのときの心の傷の痛みは決して消えないだろう…。

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( 翻訳者:坂泉穂 )
( 記事ID:512 )