アンカラで起きた地震で行政の失態が明らかに(Milliyet紙)
2005年08月01日付 Milliyet 紙

住居は被害を受け、緊急救援隊は十分機能せず、担当者は現場到着が遅れた。昨晩、アンカラとその周辺で起こった地震は、地域の(危機管理体制の)不十分さもさらけ出した。

アンカラとその周辺は、昨晩地震の緊迫感に包まれた。ボアズィチ大学カンディルリ観測所・地震調査研究所によると、深夜0時45分に(アンカラ県)バーラーを震源とする震度5.3の地震が記録された。地震はクルッカレ、ボル、クルシェヒル、ヨズガトとアンカラに近い他の地域でも感じられた。震度5.3の地震のあと、45回にわたって震度2.6~3.6の余震があった。

■「死ぬかもしれなかった」

地震で最も影響を受けたスラプナル村では、1998年に建てられた診療所が、医療スタッフが派遣されなかったため使われていなかったことが明らかとなった。地震でショックを受けた村人たちは、救急車や民間の救援チームも到着が遅れたと主張した。村人たちは「もっと大きな地震だったら、みんな死んでいた。ショックを受けた人たちは自分たちで病院に連れて行った。担当者は新聞記者よりも1時間ほど遅れてやって来た」と述べた。

■「彼らは遅れた」

スラプナル村のムハンメット・ユルデュルム村長は「地震から30分経って保安隊のチームが村に立ち寄った。救急車は何時間も後に来た。私たちに鎮痛剤をくれる者は誰もいなかった」と述べた。クズライ災害救援センターは、この地域にテントと十分な数の救援スタッフを派遣した。

■人々は路上で

地震の後、バーラーのカラハム・ザル村のモスクのミナレットが倒れた。スラプナル、ソフラル、イェニヤパン村でも多くの家に被害が出た。地震後、家に戻れなくなった人は路上で夜を明かした。クズライは地域にテント20張を送った。

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( 翻訳者:坂 泉穂 )
( 記事ID:563 )