大地震から6年、被災地ギョルジュクではまだ旧基準で建設(Milliyet紙)
2005年08月17日付 Milliyet 紙

被災地ギョルジュクでは3階建て以上の建物の建設は許可されていないが、震災前に7、8階建ての許可を得ていた建物の所有者は、震災時に休止していたビル建設を法の盲点を利用して今、続行させている。市長らは、解決の方法はない、「これが我々の法律だ」と言う。

1999年8月17日の大地震から6年が過ぎたが、地震の震源地ギョルジュクではがれきが片付けられたこと以外、特に変わったことはない。つまり我々は震災から何も学んではいないということだ。震災で約6千人という最も多くの犠牲者を出したギョルジュク郡では、高層建築物が再び急増しており、被災した建物では“補強された”という診断書を掲げて住民が居住し続けている。
自治体の担当者は、高層建築物は震災前に建設許可を得ていたものだと言う。しかし(1999年)8月17日の地震発生後に行われた当時のギョルジュク市長、イスマイル・バルシュ氏の会見は記憶に新しい。バルシュ氏は沿岸地域は沖積土であり、この辺りでは2階建て以上の建物には建築許可を出さないことや、地盤がしっかりしている場所でも3階建てを上限とする、と発表していた。バルシュ氏はまた、被災していない建物であっても上層階を取り払って地盤に適した状態にするとも述べていた。

これほどの歳月が過ぎたにも関わらず、ギョルジュクでは新たに建てられた住宅を除いて2、3階建ての建物を見つけるのは不可能に等しい。新たに建設された2、3階建ての建物を除いて、8階から10階建ての建物が増えているのはまるであの悲劇が幻であったかのようだ。さらに明らかに最上階に階を付け足した建物も見られる。
公共事業・住宅省災害局が作成した報告書によると、震災地域で建てられる建物は必ず2階建てとするはずであった。同省が作成した「周辺地区復興計画」においてもこの見解が採用された。しかし、その後いくつかの自治体は地盤の安全性を理由にさらに上階まで建設できるよう要求した。その結果、ヤロバでは4階建てまでが許可された。ギョルジュク市では2階建てまでだが、建設の途中で上部に残った部分については3階まで認められた。震災時にギョルジュク副市長だった現市長のメフメト・エリベシュ氏は、「地盤調査の結果に基づいて決められた」と述べた。
エリベシュ市長は、古い高層建築物には法的な理由で何も出来なかったと語った。建物の大部分は補強されたと言う同市長は「補強された建物は公共事業省の承認を受けた。被害が大きかった建物は全て取り払った」と話した。
また同市長は、デイルメンデレの海岸部にある海軍の西端で建設が続く高層建築物について次のように話した:「このように他の建物と隣接しない建物がいくつかある。これらは地震の前に建てられ始め、地震で作業が中断していた建物であり、地震前に上層階の建築許可を得ていたものだ。これらは足りない設備などを補って、建設審査局の監督のもと残りの工事が行われている。改築で建物を3階以上にすることは許可していない」。

■これが我々の法律だ
 
デイルメンデレのハサン・オゼル市長は、海岸部の高層建築物について次のように述べた:「地震の起きた頃、多くの建物が高層建築だったが、これらの建設作業は地震でストップしてしまった。我々は現在、建物を完成させたいという人たちに許可を与えざるを得ない状況だ。震災前に許可された階の分だけ、今建てる権利がある。残念ながら我々の法律ではこうなっているのだ」。
地震で被害を受けたギョルジュクで高層建築物が増えている一方で、票を失う恐れから、法律の不備により建築基準に抜け穴があるということも事実である。

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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:690 )