アンサーリー:キャッルービー師の後任としてハータミー師に期待
2005年07月31日付 Hamshahri 紙

2005年7月31日ハムシャフリー紙

 《闘う宗教指導者会議》の党員の一人は、「《闘う宗教指導者会議》の党員らは、同組織の事務局長として、セイエド・モハンマド・ハータミー師を推すことで意見が一致しており、党員らの推挙があった場合には同師がこの職責を受け入れてくれることを願っている」と述べた。

ホッジャトルエスラーム・ヴァル・モスレミーン・マジード・アンサーリー師は、《闘う宗教指導者会議》の党員らがキャッルービー師に同組織の事務局長にとどまるよう説得を続けたことに触れ、次のように強調した。「キャッルービー師の離党が決定的となって以降、会議は開かれていない。われわれの全期待はハータミー師に向けられており、ハータミー師の次にムーサヴィー・ホイーニーハー師〔*〕である」。

同師はさらに、《中道発展党》の事務局長より《中道穏健戦線》〔の憲章〕の草稿が起草されたことについて、自らは《闘う宗教指導者会議》の一員であるとした上で、以下のように語った。「小生はこれまで、《闘う宗教指導者会議》の一体性の護持、同組織が将来も果たすであろう重要な責務の実行、そして同組織の政治的・文化的活動の発展の必要性などを強調してきたのであり、それに鑑みれば、その他の党や戦線の一員になることなどあり得ないことである。他方、《闘う宗教指導者会議》の内規によれば、党員が他の政治組織に加わることはできないことになっている。たとえそうでなくとも、原則的に言って、個人が二つの別々の政治組織に加わることは正当ではない。綱領や規約の内容が互いに異なっている可能性もあるし、一個人が二つの組織において、組織としての責務を同時に負う必要が出てくるからだ」。

*1979年のアメリカ大使館占拠事件の際、占拠事件に参加した学生らをまとめるリーダー的存在だった人物。当時の学生の多くがその後、《イラン・イスラーム参加戦線》などの改革派政党の主要活動家となり、現在も同師と彼らの関係は深いとされる。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:603 )