2005年8月9日付シャルグ紙1面
【政治部:アクバル・モンタジャビー】セイエド・モハンマド・ハータミー師が《闘う宗教指導者会議》中央評議会の議長に選出された。彼の選出は、同師が大統領職を後任のマフムード・アフマディーネジャード氏に譲り渡してから5日後のことであった。
同師は大統領職から退いた当初、個人的な会合やときに公式の会議で、真剣に、また皮肉を織り交ぜながら、政治の世界には戻らないこと、NGOの枠組みで活動を続けることなどを表明していた。しかし、《闘う宗教指導者会議》の党員らによる努力は最終的に実を結んだ。キャッルービー師が半ば強引に同集団から離脱し新党を結成した後、彼らはイスラーム共和国で長い歴史を誇り、主にイマーム・ホメイニーの指導にもとづいて自らの進むべき道を確固たるものとしてきた同党の事務局長として、セイエド・モハンマド・ムーサヴィー・ホイーニーハー師かセイエド・モハンマド・ハータミー師かのいずれかを迎えようと努力を続けてきた。セイエド・モハンマド・ムーサヴィー・ホイーニーハー師は当初より、党の同志であるハータミー師こそが事務局長として適任であるとし、ハータミー師の元に行くよう彼らに促していた。
カリスマ的人気を有し、知識人からも国民一般大衆からも十分な人気を誇っているハータミー師は、同時に8年間にわたって権力機構の内部にとどまってきたことで、体制内部の多くの人物に対しても影響力を行使できる位置にいる。事実、権力上層部における交渉力といった点からも、下流部分における大衆の動員力といった点からも、過去数年間、顕著な指導者不足に悩んできた一政党にとって、ハータミー師は適任であった。
そのため、彼らは約2週間前から、ほぼ定期的にハータミー師と会合を持ってきたのである。同師が大統領職から別れを告げようとしている時でさえ、《闘う宗教指導者会議》の同士たちは彼にぴったりと付き添っていたのであった。モルダード月12日(8月3日)の正午、ハータミー師が大統領時代最後の婚姻の祝辞をモスタファー・タージザーデの娘に読み上げたときも、サアダーバード宮殿で行われていた式の傍らで、老齢に達した2人の宗教指導者がハータミー師を待ち構えていた。ハータミー師が式から開放されると、《闘う宗教指導者会議》の有力者であるモハンマド・タヴァッソリーとエマーミー・ジャマーラーニー両師はすかさず、ハータミー師の元に行き、政治的駆け引きを再開させる、っといった具合であった。彼らが同式に出席し、事務局長を引き受けるようハータミー師に働き掛けるなどしたために、同師が他の友人たちともつ予定だった他の会合が大幅に遅れるといった事態も生じた。
その日、同2名の宗教指導者たちは、手土産なしに帰ることはなかった。ハータミー師は彼らに対して、《闘う宗教指導者会議》の事務局長を引き受けることはないと断言したにもかかわらず、彼らは反動主義や社会・思想の硬直化・石化の危険をハータミー師に警告し、イマーム・ホメイニーの目指した道を、そしてそのために果たしてきた責務について想起させることに成功したからである。アーヤトッラー・タヴァッソリーがこの間、イラン学生通信とのインタビューのなかで、その動きが噂されるところのホッジャティーイェ協会〔*〕や反動主義の危険について詳しく述べ、このことについて再度ハータミー師の注意を喚起する必要性を感じたのも、このためであった。
〔*ホッジャティーイェ協会は、イスラーム法学者の政治への介入を批判する伝統墨守的な旧来のウラマーのグループ。ホメイニー師の論敵であったイラク・ナジャフのホイ師を支持していたことなどから、イスラーム革命後しばらく後に反ホメイニーの似非イスラーム法学者の代名詞として用いられるようになった。富田健次著『アーヤトッラーたちのイラン』、第三書館、1993、pp.103-104.参照〕
こうして彼らは、望み通りに、《闘う宗教指導者会議》の会合に参加することへの同意を、ハータミー師から取り付けたのであった。ハータミー師が《闘う宗教指導者会議》の会合への出席に同意したとのニュースは、同集団の党員を歓喜させ、一部党員らはこのニュースを通信社各社に伝え、この会合が同集団の事務所ではなく、ハータミー師の自宅で行われると通知する必要があるとまで考えたのであった。会議が開かれ、そこでいくつかの既知の問題が取り上げられた。なかでも重視されたのか、《闘う宗教指導者会議》の規約の見直しであった。
以前の規約では、同集団の党員らによって選出され、同集団を率いる責務を負っていた事務局長は、今回の規約の見直しによって、中央評議会のメンバーによって選出され、同評議会議長の監督下で執行責任を負うこととなった。こうして、ハータミー師の自宅で数回の会合がもたれた後、同集団の党員らは賛成多数をもってセイエド・モハンマド・ハータミー師を同集団の中央評議会議長に選出したのであった。
この会合ではその他のことも強調された。同集団のメンバーであるセイエド・モハンマド・アリー・アブタヒー師はこのことについて、「《闘う宗教指導者会議》の真の指導者であるイラン・イスラーム共和国の創始者〔ホメイニー師〕の進歩的思想を紹介・周知させることで、イスラームの名の下で提示される無神論や反動主義、社会の硬直化・石化につながる思想、そしてイスラーム法に対する無関心・不信と闘うことを基本として、思想的・文化的問題に重点を置くことが宣言された」と語った。
ハータミー師は他の活動にも従事することができるよう、このような〔党の活動に直接関わるような〕ことについては、責任を負いたくないと主張したのも事実である。そのため、中央評議会の議長は執行に関わる職務は行わないことになった。イランでは、党としての組織を有する政党は多くの場合、中央評議会の議長が事務局長の地位も兼任している。しかし《闘う宗教指導者会議》は、ハータミー師が他の活動、すなわち国外では《文明間対話センター》を、国内では《ハータミー基金》を立ち上げることに尽力することができるよう、執行に関わる職務を同師から譲り受け、それをハータミー師の監督の下で活動を行うべく、事務局長に委託することとなった。アブタヒー師はこのことについて、「将来的には《闘う宗教指導者会議》の機構を見直すことで、事務局長は評議会議長の監督下で選出され、同事務局長が政党としての執行責任を負うようになるだろう」と説明した。
こうして《闘う宗教指導者会議》では、中央評議会メンバーによる選出後、同集団の事務局長が執行部門で目立った役割を担うことになるとしても、その存在感と影響力のある知識人としての、また神学上の見解によって、ハータミー師に人々の注目が集まることになるだろう。というのも、ハータミー師は、純粋に宗教指導者たちの政党である同集団にとって、イデオローグとしての役割を担うことを希望しているからだ。この役割はかつて、セイエド・モハンマド・ムーサヴィー・ホイーニーハー師が、きわめて質素なかたちで担ってきたものであり、今後はハータミー師がかつて以上の姿で、この役割を全うする責務を担ったのである。それゆえ、《闘う宗教指導者会議》中央評議会議長は、同党の実際のリーダーとなって、今後の変化に対して影響を及ぼすようになるだろう。
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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:623 )