ハータミー師、《イラン自由・発展・開発財団》を立ち上げ シャルグ紙
2005年09月10日付 Sharq 紙

2005年9月10日付シャルグ紙1面
【シャルグ紙:ベフナーズ・サーデグプール】《イラン自由・発展・開発財団(BARAN)》がハータミー前大統領主宰の下で発足する運びとなった。

 同財団の発起人は、セイエド・モハンマド・ハータミー、ハサン・ハビービー、モハンマド・レザー・アーレフ、モハンマド・バーゲリヤーン、モハンマド・サッタリーファル、セイエド・サフダル=ホセイニー、そしてジャアファル・トウフィーギーの各氏である。このうち4名は、8年間のハータミー政権下で副大統領を務めていた人物であある。ハサン・ハビービーとモハンマド・レザー・アーレフ両氏は第一副大統領を務め、バーゲリヤーン氏は副大統領兼行政・雇用庁長官を、モハンマド・サッタリーファル氏は副大統領兼行政計画庁長官を、それぞれ務めていた。セイエド・サフダル=ホセイニーとジャアファル・トウフィーギー両氏もまた、ハータミー政権の閣僚であった〔サフダル=ホセイニー氏は経済相を、トウフィーギー氏は科学技術相を務めていた〕。

 〔ハータミー政権を支えた〕このグループが一堂に会しBARAN立ち上げたのは、イランの人的資本の維持・向上に尽力するためであるという。発起人委員会のメンバーであるモハンマド・サッタリーファル氏は、「この財団の目的は、イランの経験を積んだ《指導的立場にいる者たち》が政治的・党派的立場を越えて一つに集まり、国の運営や意思決定を支援することである」と語る。

 サッタリーファル氏によると、同財団の規約において用いられている《指導的立場にいる者たち》ということばは、閣僚や次官、知事、行政の統括責任者やその顧問、大学学長、国の諸機関の長、銀行の頭取など経験した者たちや研究者、学識経験者、思想家など幅広い層を想定したものであるという。実際、この財団の第一の使命とは、国の運営にかかわる貴重な経験を積んできた人材を時代に即した形で維持することにある。これらの人々は何らかの理由で国の運営や意思決定の場を去った人々であり、この財団を通して自らの理念や考えを理論化し、その成果を国のさまざまな機関・部門に提供することになる。

 サッタリーファル氏は次のように強調している。「財団のメンバーを構成する《指導的立場にいる者たち》は、ハータミー政権の下で国の運営に携わってきた者たちに限定されないだろう。むしろ、財団は革命より今日まで蓄積されてきた人的・社会的資本を集合させることを視野に入れている。これらの人々は、農業や経済、産業等々のグループから構成され、互いに交流する中で、自らの知識を最新のものに保ち、そうすることで現在の国の運営を支援するだけでなく、時が来ればいつでも国の運営の場に再復帰する準備をすることになる」。

 ハータミー師が財団に参加することで、国の意思決定に携わっている責任者たちに対しても、近い距離から影響を与えることができる。ハータミー師の見解や理念を世に広めるだけでなく、同師は財団の考え方やそこで決められた国の運営の方法について、最高指導者やその他の意思決定機関に反映させることも可能だろう。

 このような財団の設立の必要性はこれまでも感じられてきたことであり、その理念も決して新しいものではないが、このような組織が現下の状況で設立されたことは、行政の世界にとっても、国の人的資本にとっても吉報となろう。というのも、新たな政権の発足に伴い、国の運営に極めて広範な変化が生じているからだ。

 サッタリーファル氏は、これまで国の運営に携わってきた責任者たちが表舞台から去ったことを問題視し、次のように語っている。「イランにとって問題の一つは、政権が変わるごとに、政治的あるいは趣向上の理由によって、それまで国事を担ってきた責任者たちもまた、まとめて表舞台から去ってしまうことにある。先進国では、過去の経験が新たな経験としっかりと結びついているが、イランにあっては、過去の経験が脇へと追いやられてしまうか、新旧の経験が対立的な関係の中に置かれてしまうかのいずれかである。このようなあり方によって、ときに新旧の責任者の対立が国の運営の弱体化を招く結果となっている」。サッタリーファル氏は最近国の運営に生じた大きな変化についても、次のように付け加えた。「現在の状況下では、懸念は倍加している。何らかの理由により表舞台から去ることを余儀なくされた人材の知識を、破壊から守る必要がある」。

〔以下略〕

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:838 )