オルハン・パムクのノーベル文学賞受賞を純粋に祝いたい(Radikal紙)
2006年10月13日付 Radikal 紙

オルハン・パムクが2006年ノーベル文学賞を受賞した。パムクの小説は34ヶ国語に翻訳され、出版された国々では大きな反響を呼んだ。以前から数多くの賞を受賞してきたこの作家だが、その経歴にさらにノーベル文学賞が加わったことは大した驚きではなかった。今年でなければ数年のうちにオルハン・パムクにノーベル文学賞が送られるであろうことは、ヨーロッパ文学界で長い間ささやかれてきたことだ。私は作家やその作品が受賞した賞で評価されることは好まないが、オルハン・パムクはこの賞に真に値する作家であると考えている。

ノーベル賞受賞者の中でも最も若い作家の一人に数えられるオルハン・パムク(1952年生)は、作家としてのキャリアを1982年の『ジェヴデット氏と息子たち』の出版で開始した。1979年にミッリイェト紙の小説コンテストで優勝したにもかかわらず1982年まで出版されなかったこの小説を、パムクは古典的叙述法で書いた。オスマン帝国末期から1970年までの“3世代”に亘るある家族の物語を描いた『ジェヴデット氏と息子たち』は、読者からの人気を得ることはなかったが、当時の批評家に評価された。

2作目の『静かな家』では、叙述法を変え、意識の流れと内面の独白体、心理描写を中心にモダニスト形式に挑戦した。『静かな家』は、外国語に翻訳されたパムクの初の小説となった。フランスで出版され、1991年にはヨーロッパ発見賞を受賞した。この2つの小説では、アイデンティティーの問題が際立っている。

3作目の『白い城』では、ポストモダニズムの世界に‐形式的に‐足を踏み入れ、東西の対立とアイデンティティーの問題を際立たせる物語を描き出している。ポストモダニズム小説の形式を維持しながらも歴史と回想をテーマにしたことで、事実上モダニズム小説として特徴づけられる『黒い本』(1990)と『新しい人生』(1994)も注目を浴びた。しかし、豊かな史実を背景にした推理小説である『わたしの名は紅』(1998)は、全小説の中で最も注目を浴び、多数の読者に愛された。今日振り返って見てみると、オルハン・パムクの作家としての経歴は世界文学の潮流とのバランスをとりたいという願望のもと進んでいたと言うことができる。世界文学の潮流には、政治小説が欠けていた。2004年に出版された『雪』はこれを解消した。

オルハン・パムクの小説の最も注目すべき点は、非常に構成がしっかりしていることだ。小説に登場するどの人物も、事件も、細部も、あらかじめ綿密に計算されている。話しが進んではじめてこの綿密に計算された構成が活性化し、登場人物が活き活きとし、行間が見えてくる。ことは、変化する文学上の巧みな技法と関係している。パムクは、よい小説がよいテーマを見つけたり、自らの人生の一部を描くことで書けるものではないこと、そして優れた叙述が職人技を要するものであることを知っている作家だ。そしてまた、すべての文章、言葉にこだわりを持ち、小説を書く際に小説の芸術性について考える作家でもある。たとえば、『わたしの名は紅』では細密画から芸術一般、そして文学へと話が遷移していく。私たちが読むのは、作家自身に回帰し、作家自身を議論する小説だ。まるで声明であるかのごとく、自らの著述の理由、形式、制約について語る。小説中で、「描く主題は美しい娘の情熱ではなく、細密画家の情熱である」と語る名人、または「私は(写実的に)描かれた木ではなく、木の(本質的)意味になりたい」と語る木のように、『わたしの名は紅』という小説も著述の意味になるべく(本当の姿を)現していく。パムクは、説明的語りを制限する。抽象的概念や像を言葉で描写し、一つの絵画のあらゆる詳細を文章で私たちの脳裏に浮かび上がらせる。このようにして、一つの分野から別の分野へ、絵画から文章へ、文章から読者の感性へと、(意識に)表象していくのである。




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( 翻訳者:倉本さをり )
( 記事ID:3694 )