シェイフ・サイトの子孫との記事は名誉毀損―公正発展党議員フラート勝訴(Milliyet紙)
2006年10月01日付 Milliyet 紙

公正発展党議員のデンギル・ミール・メフメト・フラートが起こした訴訟で、「シェイフ・サイトの子孫」という表現は侮辱とみなされた。賠償金支払いの判決は、最高裁判所により認められた。

公正発展党副党首デンギル・ミール・メフメト・フラートは、ギュネシュ紙上の記事や報道で、彼に関し「シェイフ・サイトの子孫」という表現が使われたことを理由に訴訟を起こした。

フラートは、アンカラ初級裁判所に起こした訴訟の陳述書で、自分はシェイフ・サイトの子孫ではなく、このような誤報が政治的意図によって、彼の政治生命に影を落とすために行われた、と述べた。フラートは、シェイフ・サイトの真の子孫のアブデュルメリク・フラートと親族関係にないと述べ、賠償金として1万YTL(新トルコ¬・リラ)を求めた。

■2,000YTLの賠償金
第五初級裁判所は、フラートがシェイフ・サイトの子孫ではないにもかかわらず、こういった誤報がされたことを「名誉毀損」に相当するとし、2,000YTLの支払いを命じた。上告に際し、書類に目を通した最高裁判所第4法廷も、賠償金請求を適正なものとして、地方裁判所の判決を認めた。フラートは訴訟の陳述書で、(彼への)報道に対して自らを次のように紹介した。「私は純粋な民主主義者であり、自由主義者だ。トルコ主義者にも、クルド主義者にもならない。生涯一度でも違法活動に参加したことはない。祖父はハジュ・ベディルで、アタテュルクの時代、第1、2、3期国会議員を務めた。実際、アタテュルクとは、戦線では戦友であった。アブデュルメリク・フラートとシェイフ・サイトとは全く親族関係にない。」

■罪ではないが…
フラートは、勝訴ののち本紙にコメントを寄せ、次のように語った。「彼ら(シェイフ・サイトと子孫)とは親族関係にない。彼らはエルズルム出身である。私はアドゥヤマンのキャフタ郡出身だ。これが精神的葛藤の部分だった。わかっていながら、意図的に報道がされたのだ。シェイフ・サイトの子孫であることは、罪ではない。私はそういったことを言っているのではない。親族関係にないのに、故意の誤報がされたことを言っているのだ。」

■シェイフ・サイトの子孫、「中傷だ」
シェイフ・サイトの子孫、権利と自由党党首アブデュルメリク・フラートは、訴訟に関して次のように述べた。「ミール・デンギル・メフメト・フラートとは全く親族関係にない。まるで彼がシェイフ・サイトの子孫なら、‘弱者に襲いかかれ’とばかりに、これを利用しようと考える一部の人がいる。シェイフ・サイトは‘裏切り者’と記述されている。このことから、中傷の意味でこの表現を使っているのだ。」

■シェイフ・サイトとは
共和国宣言とカリフ制廃止ののち、1925年にシェイフ・サイトの指揮のもと、ある資料によるとカリフ制の復活、ある資料によると独立したクルド国家建国を目的として、反乱がはじめられた。1925年2月13日、ゲンチ郡(ビンギョル)で始められた反乱は鎮圧された。シェイフ・サイトと46人の同志は、ヴァルトで逮捕され、6月29日に死刑が執行された。



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( 翻訳者:井上さやか )
( 記事ID:3613 )