裁判後、自己検閲してしまう ー作家エリフ・シャファク、ブックフェアで読者に答える (Yeni Safak紙)
2006年10月30日付 Yeni Safak 紙

10月28日~11月9日まで公開のTUYAP(トルコ・イベントセンター)のブック・フェアは、25年間もの間読書好きの人々と好みの作者とが対面する場となっている。著作『父と私生児』が、「トルコ性と共和国を出版物によって誹謗する」という罪状を含む刑法301条を犯したとして3年以下の懲役を求刑されて審理を受け、無罪を認められた作家エリフ・シャファクもここに参加した。昨日、ミッリイェトの芸術誌のブースで読者達と対面し、向けられた批難の矛先に受け答えた。

■裁判を傍観するのは辛かった

シャファク氏は出産直後の時期に、小説『父と私生児』による「トルコ性を誹謗する」という罪状に対しての裁判で無罪を勝ち取った。これによって自身の裁判を病室から見守らざるをえなかったことを悲しみ、出廷を希望していたということを打ち明けた。彼女は、「自分の裁判について、そして、私の写真が裁判所の前で焼かれるのをテレビ画面に見ることはとても苦しいことだった。この裁判を私自身の、つまり、「エリフ・シャファク裁判」として認めたくなかった。この裁判は、トルコに偏在する問題なのであり、他の全ての301条に関する裁判を変えるものとなることを望んでいる」と話した。また、こうも語った。「この裁判では市民社会団体が重要な役割を果たしたおかげで、孤立感を感じることがなかった。この裁判ゆえに、自己規制をおこなおうことになろうとは思いもしなかったが、先日文章を書いているうちに、「この文章がもとで訴追されるかも」と考えている自分に気付いた。文章を書く際、非常にためらい、自己校閲を行っている。文章を生み出す前に躊躇しているとしたら、まさにあの圧力は成功なのです。今の法律は、301条に違反したとして法廷にかけられた作家達を、罪を繰り返さないことを条件に免罪するようになっている。」

■「パムクのようである」との批判

イタリアでの報道では、「法王に助言を与えた」という見出しで書かれることとなったシャファク氏であったが、そのような目的は無かったという。そして、「法王は現在の多極化した世界に緊張を起こすような発言を避けねばならない。イスラム世界に関しての一般化もしてはいけない」と述べた。また、「パムクはアルメニア人虐殺があったことを主張してノーベル賞を取ったのだから、同様のことを主張したシャファクも来年の賞を取るだろう」という質疑に対しては、「パムクは30年間に渡りトルコ文学に貢献し、着実な作家活動を送り、昨今現れた作家ではないだろう。私は、アルメニア、トルコ、クルドそれぞれの民族主義に反対である。さらに、私の発言を快く思わないアメリカのアルメニア・ディアスポラからも批判が来たこともある」と応えた。

■母親としての仕事は心地よい束縛

最近母親になったシャファク氏は、母親というものが心地よい束縛であると述べた。「作家として小説の登場人物を作り出すことと、母親として子供を育てることは(一見)それぞれ別のことである。小説は話が進むにつれて作家の作為を逃れ、一人歩きを始める。他方、子供は私とつながっていても自由に成長する」と話した。また、女性作家にとって育児・掃除・炊事から解放されることが容易なことではないと述べて、「私にとって母親としての仕事は作家生活を中断させた。現在は子供に付きっ切りで過ごしている。子供の愛情が重くのしかかるが、このように感じるようでなければ逆に罪悪感をもってしまう。



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( 翻訳者:堀ノ内夏子 )
( 記事ID:3817 )