ローマ法王訪土に抗議 -アヤソフィア博物館で礼拝の39人が拘束(Milliyet紙)
2006年11月23日付 Milliyet 紙

 アヤソフィア博物館を訪れたアルペレン協会メンバーの一団が、法王の訪問に抗議するため、礼拝が禁止された区画で礼拝を行った。この行動が世界で反響を生んでいるが、(礼拝を行って)抗議した39人が拘束された。

アヤソフィア博物館が昨日、大きな挑発の舞台となった。アルペレン協会のメンバーの一団は、昨日、礼拝が禁止されている博物館の区画で礼拝を行い、法王ベネディクト16世のトルコ訪問に抗議した。報道にむけて声明も行った一団中39人が拘束された一方で、旅行者たちは抗議(の模様)を困惑しながら眺めていた。

ムフスィン・ヤズジュオールが党首を務めるBBP(大統一党)の青年組織であるアルペレン協会メンバーの一団が、16時ごろにアヤソフィアにやってきた。アルペレン協会代表セルカン・テュズンとイスタンブル県支部長ヒュセイン・セズギンも参加していた集団は、3~5人の小グループで別々に中に入った。

■「アッラーは偉大なり」と叫んだ
携帯電話で連絡を取りあっていた一団は、(博物館にはいった)のちにドームの下に集まり、旅行者たちの困惑の視線の中で行動を始めた。(集団は)隊列を作り、そのうちの一人がイマーム(礼拝の先導)の役を務め、二度の礼拝を行った。保安責任者たちを排除した一団は、礼拝を終えた後にトルコ国旗を翻し、「法王よ、うろたえるなよ、我々を怒らせるな」、「オスマン帝国の子孫であるアルペレンの参上だ」、「さあ、アッラーの御名において、アッラーは偉大なり」というスローガンを唱えた。

報道向けの声明を行ったテュズン代表は、法王の言葉は全イスラーム世界を深く傷つけているとし、「法王のトルコ訪問は善意のみで計画された単純なものではなく、底意のある、企みのある罠である。我々の望みは、単に博物館としてのアヤソフィアではなく、トルコとイスラームの標識・シンボルにして、『アッラーは偉大なり』の声響き渡る、礼拝の場所としてのアヤソフィアを見ることである」と話した。

約30分後、博物館に来た警察が一団を取り囲んだ。騒ぎの中でマスタードガスを使用した警察は、39人を拘束した。博物館の前で待機していた何人かも「ここで礼拝を行うのは、トルコ・イスラーム民族の権利であることを示すためのものである」と述べた。

この間、文化観光大臣アティッラ・コチは、この出来事を「醜い事件」であると評価した。コチ大臣は、「このような圧力は絶対に認めない。行われた行為を非難する」と述べた。

■「コンスタンティン」の言葉への反発
BBPのイスタンブル県支部長バイラム・カラジャは、「法王がドイツで、この後の訪問地はというある新聞記者の質問に(イスタンブルの代わりに)コンスタンティンと答えたことが、この事件が生じる原因となった。我々は抗議のため出向き、アヤソフィアで怒りに身を任せた行動をとらずに礼拝を行った」と語った。BBP党首ムフスィン・ヤズジュオールは、この行動を「トルコの若者による民主的な抗議」と評価した。

■ポスターによる抗議
法王ベネディクト16世のトルコ訪問の前に抗議が高まる中、イスタンブルのさまざまな地区の壁に貼られた「総主教と法王は(総主教座教会のある)フェネル地区に、トルコ国民はどこに?」と書かれたポスターが注意を引いた。至福党も11月26日日曜日に「無知で底意のある法王よ来るな」という名の集会を行う。

■アヤソフィアは71年間礼拝を禁止してきた
(オスマン朝の)ファーティフ・スルタン・メフメトは、1453年5月29日にイスタンブルを征服した後、最初の金曜日にアヤソフィアで礼拝を行い、のちにここをキリスト教会からモスクに変えた。1935年までモスクとして礼拝が行われていたアヤソフィアは、アタテュルクの共和国大統領在任時に、閣議決定で博物館に変えられた。1995年に当時の文化大臣ナームク・ケマル・ゼイベキによって、「聖職者の間」として知られる場所が、礼拝所に変えられ礼拝可能となった。この場所は、博物館として使われている主要箇所とは何の繋がりもない。アヤソフィアでの礼拝は許可されていない。



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( 翻訳者:佐藤淳也 )
( 記事ID:3958 )