主婦が「広場」に飛び出した:スルタン・アフメト広場の清掃員に女性雇用(Radikal紙)
2006年01月12日付 Radikal 紙
(訳者註:トルコ語で広場[meydan]という語は多様な熟語を形成する。「広場に出る」といのは表に出る、つまり専業主婦が社会に出るという意味をかけている。)
(イスタンブル歴史地区の)スルタン・アフメト広場の清掃は、女性の働き手によって担われている。家庭での家事経験を活かし、仕事に励む女性達は、家族を支えることができて嬉しいという。
■手にほうき、ちりとりを持ち、オレンジ色の作業服、人ごみの中でも人目を引く。家を清掃する時の几帳面さで、道路を掃いていく。きれいにしたところは、数分後には多くの人の足跡でいっぱいになる。それでもひるまずに掃き続ける。彼女達はエミニョニュ市の女性清掃員である。清掃員の仕事場はスルタン・アフメト広場、アヤソフィア博物館周辺である。市は多くの観光客が訪れる地区を「きれいに保とう」ということで、とりわけ女性労働者の雇用を募った。市の出した「女性清掃員募集」の広告に、4人の女性はチャンスを逃さなかった。
■冬は寒い、夏は暑いとも言わず、朝7時半から夕方16時半までが彼女達の労働時間である。朝は市のサービス・バスで出勤し、夕方もサービス・バスで帰る。仕事の時に何を着ればいいのか?彼女達にそんな心配はない。オレンジ色に白い蛍光色のラインが入った作業服で仕事に取りかかる。昼食は、エミニョニュ市清掃局のスルタン・アフメト事務所で取る。そこにはもう一つ暖をとるための休憩室もある。それぞれにゴミ用の青い台車と、ほうき、ちりとり、手袋がある。子供達は所構わずごみを捨てる。大人達も同じようなものである。それでも仕事をがんばる。
32歳のビルギュル・タシュイェイェンにとっては、これが初めての仕事である。4ヶ月前に始めた。 10歳と7歳の子供がいる。7歳のイラルは聴覚障害者だが今年から学校に通う。タシュイェイェンさんの夫は心臓病とその後の麻痺を経験し健康に問題がある。でも働く意欲はある。タシュイェイェンさんは夫に仕事がないのを見かねて思った。「それなら私が働こう。まずは市役所へ行こうと思いついたの。イスタンブル大市のサラチハーネの事務所へ。そして夫に仕事はないかときいてみたの。」「難しいでしょう。長期間待つことになりますよ。」言われた。「では私に仕事はない?じゃないと抗議をするわ。」と言った。「本気で抗議までするつもりはなかったんだけど、このエミニョニュの仕事に派遣された。もう4ヶ月ここで働いてるの。」
44歳のファフリイェ・ヴェレットもこれが初めての仕事だ。以前パートで少し働いたことはあるけど、それは数に入らない。きっかけは4月のことだった。息子の結納に行った翌日、家に泥棒が入った。ふとんも毛布も何も残っていなかった。これをうけエミニョニュで商人をしている夫に、「23年間、あなたは私を養ってくれたんだから、これからは私も何かしなければ」とやる気を起こしたのだと言う。ファフリイェ・ヴェレットは「できれば夫にも市の仕事を見つけたい」と言う。
最年少である23歳のアイシェ・キラズルは働いて6ヶ月になる。「初めてほうきを持った時はなじめなかった。恥ずかしくて掃除できない日さえあった。でも今は好きで働いているの。」と言う。
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( 翻訳者:大島 史 )
( 記事ID:1708 )