トルコの結婚生活の厳しい現実:ある現代女性の体験談より(Radikal紙)
2006年01月15日付 Radikal 紙

〔注:この記事はラディカル紙の結婚生活に関する連載記事の第一弾としてまとめられた。当ホームページではシリーズの全てを掲載できないことをあらかじめお断りしておきたい。〕

 結婚とは、中に入ることも外に出ることもできない輪のようなものだ。人は孤独を引き受けることもできず、ともに暮らすことに成功することもない。この矛盾は有史以来のものと言っていい。結局のところ、結婚とは男女の間で何百年も続く主導権争いなのである。これを受け入れ、役割にあわせることができる人はなんと幸せだろう。とはいえ、「幸せな結婚は存在するか?」「問題のない結婚の秘密」といった類の問いや研究にはもう飽き飽きした。すでに結婚については語りつくされたといっていいだろう。しかしそれでも、人が生き、結婚という制度が存続している限り結婚に特有の問題は必ず関心の的になる。我々は頭ごなしに結婚について決めてかかるのではなく、「結婚制度」の英雄である既婚男女に結婚問題のあれこれについて論じてもらいたいと考えた。
 彼らは、身元を明かさないという条件をつけ、それでも多くはためらいながら、自分の身に起こったことを赤裸々に語ってくれた。


◆24歳・バツイチ女性の体験談
 イスタンブルの高級住宅地エレンキョイにある16階建て高級マンションの最上階。広いリビングには茶色の革製ソファが2台、真ん中には同じく革張りの大きめのセンターテーブル。リビングで唯一目立つものは大画面のプラズマテレビ。重厚なテーブルとベージュの革張りのいすのあるダイニングセット、その向こうにはビリヤード台が鎮座している。ここは安っぽい小さな飾り物が飾られていたり、ひしめき合うように家具に取り囲まれているような家ではない。壁に抽象画の油彩がかけられていて、全てができるかぎりシンプルにまとめられている。日が暮れてきたようだ。海に浮かぶ島々が遠くにキラキラしている。
 この家の住人は24歳の新婚女性だ。これで2度目の結婚である。彼女は若いけれど結婚には一家言あるということで、私はここを訪れたわけである。
 新婦はチェルケス風の美人である。頬骨は高く茶色の大きな目がきらきらしていて、鼻はややカギ鼻ぎみ、まっすぐな金髪は腰まで届く長さだ。モデルなどよりずっと美しいプロポーションの持ち主でもある。身長178センチ、大変にスマートだ。細身のジーンズに胸元の開いた白いセーターを着ている。私立大学の心理学科を卒業したが、その後しばらく家事手伝いをし、最近また結婚をしてみたくなったということである。彼女は、体験した2度の結婚生活を全て隠すことなく語ってくれた。

■65日で終わった結婚生活の始まりはどういうふうでしたか?
 最初の夫は、イスタンブルのアジア側にあるフェネルバフチェ・スタジアムの前を車で通りかかったとき、車で近づいてきた人よ。私の車はそのときとても汚かったの。「洗車しようか?」と言ってきたわ。私は「関係ないでしょ」と言い返したの。その間も彼はついてきて、助手席に座っていた女友達に私の電話番号を尋ねてきた。2時間後、会ったわ。私は「自分を何様だと思ってるわけ?」と言って落ち込ませてやるつもりだった。でも結局そうならなかったわ。お互いに気に入っちゃったのよね。ほら、女の子はお父さんに似てる男性を好きになるって言うでしょ? 私の父はとても強くて、おなかも出ていたわ。最初の夫もそうだったの。まあつまり、父と同じタイプの男が好みだったってわけね。それから付き合いだしたのよ。私は大学に入ったばかりだった。当時、彼の家族とも会ったことがなかったわ。今になってみると自分でも驚くわね。青いっていうか、世間知らずっていうか、恋は盲目っていうけれど。家族について、彼に何も尋ねなかったの。彼も何も言わなかった。ただ彼のお母さんがスカーフをかぶっているっていうことくらいしか知らなかったのよ。

■彼の仕事は何?
 彼は自分では職に就いていなかった。高卒でね。家族は建設関連の仕事をしていて、彼もそこで働いていたの。黒海地方出身〔注:一般に保守的な土地柄で知られる〕の家族だった。でも彼はとても今風だったわ。バカンスは一緒にボドルム〔注:エーゲ海沿岸の代表的リゾート地〕に行ったの。私はとっても短いスカートをはいて、ノーブラで。全然干渉してこないし。でも家族は彼のことを気に入らなかった。父は、彼が保守的な黒海地方の人だからうちには合わないだろうと言ったわ。母も反対した。一日中母とけんかして、生まれて初めて母にぶたれたの。その翌日彼と会って、私からプロポーズしたわ。「逃げよう」って。マルマリス〔注:エーゲ海沿岸の代表的リゾート地〕に行って、翌日にはもう電撃結婚してた。2003年の5月だったわ。結婚のサインをしてから、お互いの家族に電話して結婚を報告した。1週間後、イスタンブルのバクルキョイに住む彼のお姉さんの家に行ったの。

■彼の家族の第一印象はどうでしたか?
 下のお姉さんは今風の服装だったわ。翌日、彼女と買い物に出て家に戻ると、女性がドアを開けたの。こんなことを言ったら失礼だけれど、使用人か何かかと思ったわ。でもそれが彼の一番上のお姉さんだった。困惑したわ。それから、彼のお母さんと会ったときにはまたびっくりした。黒海なまり丸出しの頭を覆った女性だった。本当に、なんてことかしらね。私の母も彼の家族と会って真っ青になっていたわ。披露宴をサルイェル〔注:イスタンブル北部、魚料理で有名〕のギリシャ風食堂のような場所でやるつもりだと言うので反対したわ。今度は彼の兄が口出ししてきた。「披露宴は俺が言った場所でやるんだ。他はダメだ」ってね。夫はグーの音も出なかった。それから、「姑の前ではスカーフをかぶってくれ。外ではどんな格好でもいいから」なんて言い出したのよ。

■披露宴はどうでしたか?
 結局、披露宴は私が希望した場所になったわ。会場の右側の新婦側招待席は、みんな胸元の大きく開いたイブニングドレスを着て、髪もきれいにセットしていた。で、左側は新郎側なんだけれど、こちらはスカーフをかぶったり全身黒ずくめのスカーフやマントをかぶっていたり。これは、現代風の家族出身の私にとっては大ダメージよ。結婚記念品の贈呈式も無理やりやろうとしたから、私が反対した。そのうち、舞台に楽師なんかが出てきたわ。まったく最低の披露宴よ。そのことで夫の兄と口論になったの。彼は怒ってガラスにこぶしをたたきつけたわ。それで腕を怪我して、血管が切れて床に血が落ちたりして、病院に運ばれたの。最初の夜がそんなだったのよ。まずは夫の両親の家に泊まって、それから私たちの家に引っ越した。でも3日後には彼の家族がやってきて、うちに住み着いたのよ! 私たちには1部屋をくれるといってね。彼らがそばにいるときは、私は黙りこくっているしかなかったわ。タバコも吸えないし、しゃべれないの。

■夫の家族はあなたがたの関係に口出ししてきましたか?
 私は、夏は当然ノースリブを着るわ。でも姑はまず袖のある服を着るように、それから頭を覆うように言ってきたのよ。「夫を愛しているなら従うものだ」なんて言うの。でも夫に「あなたの家族は私に干渉するかしら?」と聞くと、「そんなことはしないよ」と答えるわけ。夫は、彼の兄にいじめられていたようね。でも私には優しかったし、いい人だった。けれどそれから事態は大きく変わり始めたわ。絶え間ない口論。彼は酒を飲み始めて、ベッドでも乱暴で冷淡になっていったの。夜はお互い背を向けて寝るようになった。つまり、セックスレスになっていたのよ。

■でも恋愛結婚ですよね?
 ええ、しかもまだ新婚1ヶ月目よ。夕飯の後彼がソファに座ると、私は別のソファに離れて座るの。それから早々に寝室に引き上げて寝てしまうのよ。彼のことを信じて逃げてきたけれど、彼は私を放り出してしまった。私は完全に打ちのめされたわ。間違った相手と結婚してしまって、元の家族のところにも戻れない。昼間は平凡な主婦のように過ごしたわ。家を片付けたりして。姑たちは25日間うちに滞在して、彼が私から離れてしまったのを見届けてから家に帰っていった。姑は言ったわ。「私はよくできた嫁なら気に入るよ。お前にバクラヴァやス・ボレイ〔注:いずれもトルコの伝統的な菓子。作るのに大変手間がかかり、これをうまく作れることがトルコの良い嫁の条件とも言われる〕の作り方を教えてやろう」って。私は、自分は教育を受けた人間だと言ったけれど、彼女は教育は重要じゃないと言った。あるとき、私をそばに呼んで「おまえ、アレをした後でちゃんとお清めをしているかい」と聞いてきたわ。私は「ええ、しています」って答えた。すると「よしよし、お清めもしないで朝食をとるのは罪悪だからね」なんて言っていた。46歳にして、あらゆることをみっともない、恥だと思うような、頑迷な女の人よ。カナル7やサマンヨルTV〔注:いずれも宗教色が濃く保守層に人気の高いTV局〕しか見ず、宗教本を愛読して、そしてなんでも非難するのよ。夫が異を唱えたって、お金をもらえなくなるだけ。どうにもできないわ。尻尾がつながれているようなものよ。

■決定的な決裂はどんなふうにやってきたのですか?
 冷戦状態にはなっていたわ。セックスもないしね。だいたい、気持ちがなければセックスがあったって何の意味もないでしょう。ある日、またケンカになったの。すぐ部屋にこもってカギをかけたわ。すると彼はドアを激しく叩いて、「もうおしまいだ。俺のことをサルか何かみたいに思っているんだろう」と言った。私はひとつひとつ説明したわ。「あなたは私に、家族は私たちに干渉しないって言ったわね。でも彼らが干渉してくるのを見てみぬふりをしていたじゃない。あなたは私を独りぼっちにしたのよ。」 彼は怒り狂ってしゃべっていたけれど、正直なところ完全に手を引くことはできなかった。また結婚生活を続けることにしたわ。でも関係は冷え切っていた。ある夜、胃痙攣を起こしたの。でも全然気に留めてもくれなかった。きっと気を引きたかったのね、また胃が痛んだ。でも意に介さずにそのまま寝てしまったから私も怒って寝室に行った。「なんてひどいことをするの?」って。腹が立って、枕を投げつけてやった。そうしたら私を部屋から押し出して目の前でドアを閉めたのよ。それからドアのところでもみあいになった。そのとき、彼が手をあげようとしたの。私をぶとうとしたのね。それがわかって、私はうずくまった。彼が私の手首をつかんだので、私は「この家から出て行って」と言った。彼は出て行った。それから父に電話をかけたの。父は言ったわ。「もう嫌だというならそれもいい。でもお前にとってはとても大変なことだよ。離婚は、私たちにとっては特に問題ではないが、この国では問題だと考える人がたくさんいるからね。全てが以前と同じというわけにはいかないだろう。そのことに耐えられるかい?」って。
「大丈夫よ」と答えたわ。それで終わった。

■離婚後の生活はどうなりましたか? やはり大変でしたか?
 大学を続けたわ。私、根本的なことについては他人に耳を貸さないの。周りの目があった分、むしろ気にしないように努めるのは難しいことではなかったわ。男性不信にはなったけど。離婚して数ヵ月後に今の夫と知り合ったの。いとこの結婚披露宴で私のことを気に入ったらしいわ。私を紹介しろって、いとこにずいぶん言ってきたそうよ。そんなこと考えもしなかったわ。今の夫は超現代的なの。イスタンブル出身でね。彼の母はイスタンブルのカドゥキョイ地区で最大の資産家の一人。いとこは私に離婚歴があることを話して、「もし真剣な気持ちなら紹介するけれど」って言ったらしいわ。夫は「離婚歴なんて全然問題じゃない」って言ってくれて、それで紹介されたわけ。それから会うようになったけれど、私は混乱していたわ。嘘じゃないかと思っていたの。でもそのうちに付き合うようになった。そのころ、彼は職を持っていなかった。お金持ちでしょう。働く必要性を感じていなかったみたい。でも私は強く言ったの。仕事をするべきだって。同じ轍を踏むのは絶対に嫌だったから。意見が食い違ってもきちんと話さなければならないと思った。恋にも限度がある。お金なしではやっていけない。働かない、お金を稼がない男性との結婚はありえない、って。そう言って切り札を出したら、彼はレストランの経営を始めたわ。それで婚約したのよ。

■今度は居心地がいいのでは?
 信頼するのは難しかったわ。最近知ったのだけれど、前の舅は姑のことを裏切っていたらしいの。それも新婚15日目で。姑は結婚以来17年間、ずっと裏切られ続けてきたそうよ。うちでも、父には実は16年来の愛人がいて、母はそのことを父が死ぬ前に知ったの。まあそれはともかく、私は父が亡くなって2ヵ月後に結婚したわ。今度の披露宴は私が望んだとおりになったし、住んでいる家も自分たちの家よ。

■今はすべてうまくいっているようですね?
 2年間はいろいろあったわ。今はようやく結婚生活になじんできたところ。夫は本当に優しくて、大好きよ。お腹を空かせて仕事から帰ってきて、家に何も食べるものがなくても、何も言わないような人よ。夫の前では私は無力な女なんかじゃなくて、彼を正しい方向に導いたりもするわ。彼は30歳まで働いたことがなかったそうだけど、レストランの仕事はうまくやってるわねってほめたり。一緒にバックギャモンで遊んだり、映画を見に行くこともあるわ。週末は一緒にバーに行ったり、ホームパーティを開いたり。私たちなりに青春を過ごしているってわけね。

■ご両親の結婚生活はどうだったのでしょう?
 おそらく、私の人生のあらゆる間違いの原因は彼らの間違った関係にあると思う。毎日ケンカしていたわ。暴力はいつもあって、私がターゲットになることもあった。あるとき、父が怒って私にパンナイフを投げつけてきたことがあったわ。あやうく顔に当たるところだったのよ。母のことを殴っていたわ。浮気が発覚したときは私たちの目の前で母の首を絞めていた。ある日、寝室の前を通り過ぎようとしたとき、父が誰かと電話でしゃべっているのが聞こえたの。「君の声を聞くと汗が出てくるよ、ダーリン」なんてしゃべっているのを聞いて、気分が悪くなったわ。それから2週間後、母が私に電話をかけてきて、「お父さんが私を裏切っているわ」と言い出した。父のカバンを掃除しているときに女性の手紙を見つけたらしいわ。私は母に例の電話の件を話した。父は最初否定してた。両親は3年間セックスレス状態だったそうよ。父は「もうダメなんだ」と言って母を騙していたみたい。ことが発覚して、母は打ちひしがれていたわ。父は母にこう言ったのよ。「お前は女なのだから、女とはどういうものか知りなさい。まあ、座って。多くの女性がお前みたいな状況にある。なのになぜそうわめくことがある?」ってね。妹が反発すると、「お前なんぞに何の関係がある。宗教婚を済ませた女も私のれっきとした妻だ〔注:民法上の婚姻のほかに、民法外の婚姻がイスラム的風習として存続している〕」とわめき散らしたわ。父は家を出て行くことはなく、死ぬまで私たちと一緒に暮らした。居間で寝起きしていたわ。それから6ヵ月後に亡くなった。粗暴な人だった。



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( 翻訳者:宇野 陽子 )
( 記事ID:1723 )