イズミルのサヴァタイ・ツビ博物館をめぐる騒動―ユダヤ教徒、反発(YeniSafak紙)
2006年12月24日付 Yeni Safak 紙

イズミル商工会議所(IZTO)執行部によるサバタイ・ツビ博物館建設提案は、イズミルを混乱させた。水曜日(27日)に行なわれる代表者会議では、アゴラ地区のポルトガル人のシナゴーグに37万新トルコリラ(約2900万)をかけてサバタイ博物館を建設する旨の案件提出が見込まれている。会議では、商工会議所の2007年予算(2100万新トルコリラ、約16億7000万円)内の10項目の活動計画が検討される。一部の会員は、この提案に対し激しく反対している。

イズミル商工会議所には、65,000人の会員がいる。同商工会議所の2006年最後の会議は、次の水曜日に行なわれる。同執行部は、会議の1週間前に179人の会員に、執行部会の活動計画及び予算を掲載した425ページにわたる資料を送付した。資料内で、2007年に行なわれる活動の内378ページにサバタイ・ツビ博物館というタイトルの文章が掲載された。この中で、2段落にわたる以下の文章に注目が集まった。

「サバタイ・ツビは、ユダヤ教の歴史において重要な位置を占める人物であり、イズミルで暮らしていた。その上、サバタイ主義はユダヤ教の一派として存続していた。イズミルの歴史に重要と位置づけられる出来事や人びとは、イズミルの記憶の一部である。このため、ユダヤ教の歴史におけるサバタイ・ツビの役割を明らかにでき、様々な古い品々をも展示できる博物館の建設は、古いシナゴーグもしくは古い建物を用い建設されることが(妥当と)考えられる。」

■観光を活発化させる

イズミル商工会議所執行部会会頭のエクレム・デミルタシュは、サバタイ・ツビ博物館(建設)の決定がまだなされていないこと、会議で話し合われることを語った。デミルタシュ会頭は、このような博物館(の建設)が「博物館の都市」の形成を目論んでいるイズミルに彩りを添えると考えているとし、次のように説明した。「我々の目的は、まさに観光を活発化させることである。この種の興味深い人びとが注目されることは、必要である。」

サバタイ・ツビ博物館構想を支援する商工会議所の会員、ネジミ・チャルシュカンは、同商工会議所が以前にも教会やシナゴーグの改修のために決定を下したことがあり、この最新の計画も同じ形での文化的投資であると強調した。またユダヤ教徒のトルコ国民がイズミルの文化において重要な地位を占めると力説し、以下のように述べた。

「イズミルを観光と会議の中心地にしたい。もちろん民俗学的価値は守られねばならない。我々はイズミルを国際的な観光業界に提供したいし、イズミルが利益を得る手段として、あらゆる価値を活かしたい。ユダヤ教徒の国民が形成した文化はイズミルにとって非常に重要である。この活動の主旨を信じている。みなさんイズミルに来て、ホテルで滞在して、買い物をしてください。サバタイ・ツビの文化は1700年代にはじまった。この文化がユダヤ教の文化において、重要な地位を占めていると考えている。つまり重要な文化的、民俗学的価値です。」

■合法化論議

イズミル商工会議所の一部の会員は、博物館の計画に激しく反対している。計画に反対している会員は、イズミルの最も大きな市民社会組織である商工会議所が利用され、サバタイ主義を合法化させることになる、と強調している。ネジップ・ナスル副会頭は、サバタイ・ツビ博物館反対者の一人である。ナスル副会頭は、このような必要性の無い試みが執行部によって最終的には引っ込められると考えており、「300年間秘められていたことが、商工会議所の議題に上ることは奇妙なことである。別の目的で、議題に上った可能性がある」と話した。

博物館建設に反対をしている別の会員であるサリフ・ビュユクウウルは、商工会議所の執行部が昨年にもシナゴーグや教会の修復のために300万新トルコリラ(約2億4000万円)の予算を割き、この決定に反対を示したことを明らかにし、以下のように述べた。

「この要求はギリシャ領事からのものであろう。秘かに謀が進んでいる。イズミル商工会議所のデミルタシュ会頭がこの件を裏で操り、会議を通す。なぜなら商工会議所会員の30パーセントは、彼の会社と協業しているからだ。」

博物館に反対する別の会員に、バスフィ・チャクルオールがいる。2007年に会員から集められる月会費は170新トルコリラ(約14,000円)から250新トルコリラ(約20,000円)に値上げされ、徴収された全額は退廃を作り出す集会所に分離主義者のために費やされるとし、以下のように述べた。

「ツビに対してユダヤ教徒も反対している。彼は改宗者といわれている。」

■サバタイ・ツビとは誰か

1626年にイズミルのユダヤ教徒一家に生まれた。22歳の時、自分が「メシア」であると称した。ことの展開に不安を抱いたイズミルのユダヤ教指導者は、ツビをイズミルより離れさせた。長い間ダマスカスとカイロで生活したツビは1665年にイズミルへ戻った。数年のうちにサバタイ主義の流れは、急速に力をつけヴェネチア、アムステルダム、ハンブルグ、ロンドン、そしていくつかの北アフリカの都市にまで広がっていった。1666年の初めにイスタンブルを訪れたツビは、オスマン朝当局によって捕えられた。9月16日にエディルネでスルタン・メフメト4世の御前に引き出された。ツビは改宗してムスリムになることを認めた。しかしツビの改宗は、多くの信徒を失望させた。時と共に、尊敬を失っていったツビは、追放された先のアルバニアで1676年に亡くなった。

■ オルタイル「博物館は非常に良い」

歴史家のイルベル・オルタイル教授(トプカプ宮殿博物館館長)は、サバタイ・ツビ博物館に賛成した。オルタイル教授は、次のように語った。

「このような博物館の建設は非常に重要と思う、とても良いことだ。サバタイ・ツビは、宗教家であり、さらには歴史的な人物であり、イズミルの歴史に貢献し、支持者を擁する有名な人物である。このため、彼の名前を冠した博物館の建設は非常に意味のあることだと考えている。信仰ツアーへの貢献という議論には関心はない。単に歴史的な人物であるという理由でも、博物館は作られるべきである。この構想を支援している。歴史は隠蔽されてはならない。」

■ユダヤ教の信徒:決して許可しない

トルコ・ユダヤ教信徒の長であるシルビオ・オヴァディオは、イズミルのシナゴーグにサバタイ・ツビ博物館を作るという件で彼らに伺いがたてられなかったのを明らかにし、「我々はこの件を聞いていない。イズミルの関係者と会い、それから皆さんにこの件についてお伝えしましょう」と話した。

その後再び、シルビオ・オヴァディオに我々は接触した。彼は「ユダヤ教徒の関係敷地に、決してこのような博物館は建設されない。このような博物館は、別の場所で作られたとしても、ユダヤ教徒にとっていかなる意味も持たない。普通の博物館である」と話した。

■我々は、サバタイ主義を認めない

シルビオ・オヴァディオは、イズミル商工会議所とイズミル市当局が、荒廃したシナゴーグを修復するために彼らへ提案を行なったことを想起させ、次のように語った。

「恐らく提案も、このようなことを意図してのことである。しかし我々は博物館に許可は出さない。シナゴーグの外に博物館を作ったとして、そこへユダヤ教徒が入るか否かはわからない。例えば、私はアメリカでネイティブ・アメリカンの博物館へ行った。同情や、嫌悪からそこを訪れたわけでない。」

オヴァディオは、ユダヤ教徒がサバタイ・ツビを嫌っているという見方に対しても反対し、以下のように述べた。

「嫌うという言葉は、非常に重みがある。サバタイ・ツビはイズミルで暮らし、全ユダヤ教徒に多いに影響を与えた人物である。300年も前の話である。ユダヤ教徒たちは、その当時ひどく不快感を覚えた。我々は(認められている)ユダヤ教(の派)信徒の一員である。我々の信ずる信仰は、サバタイ主義を認めない。しかしこれはもちろんのこと、嫌いという次元ではない。」

■この博物館に誰も入らない

研究者で、作家のヤルチュン・キュチュク教授は、「この考えを誰が提案したとしても、その人はサバタイ主義者である」と語り、以下の見解を話した。

「サバタイ主義者たちは、『私はサバタイ主義者です』と言い出す勇気がなかったために、願望を他の理由にかこつけている。本当のところ、この試みはサバタイ主義者たちが自己表明する過程の中の新たな段階なのである。このために『博物館建設を望む人びとはサバタイ主義者である』と私が語るのは、彼らを不快にしない。」

キュチュク氏は、一人の名前を冠した博物館が開館される時、その人物の仕事机、ベッド、衣服など多くの私物品が展示される必要があるとし、「しかしサバタイ・ツビに関わる博物館に展示されるのは肖像画のほかに何も無い」と話した。

■ユダヤ教徒たちは、ツビを好きでない

キュチュク氏は、この博物館は信仰ツアーに貢献しないことも強調し、以下のように述べた。

「なぜならユダヤ教徒たちは、サバタイ主義者を嫌って反対している。そしてサバタイ主義者をユダヤ教の一派としてではなく、異端としてみている。この博物館をユダヤ教徒が訪れるとして建設するなら、欺いているのだ。ムスリムもキリスト教徒も訪れないだろうから、博物館を誰が訪れよう。私が考えるところ、この博物館建設の提案は、一部グループが自分たちの宗教指導者への尊敬から行なっている。」





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( 翻訳者:丹羽貴弥 )
( 記事ID:4203 )