バンダ・アチェの被災者にトルコからプレハブ住宅の援助(Hurriyet紙)
2006年12月26日付 Hurriyet 紙
メフメト・アリー・シャーヒン国務大臣兼副首相と国際赤十字委員会はインドネシアの首都ジャカルタでの会談のあとバンダ・アチェへ向かった。シャーヒン大臣と共に首相府事務次官オメル・ディンチェル、トルコ赤新月社代表テキン・キュチュクアリ、(首相府)住宅建設促進管理局長エルドアン・バイラックタル、公共事業・住宅省次官補サドゥック・ヤマチ、トルコの駐ジャカルタ大使アイドゥン・エヴィルゲンもバンダ・アチェを訪れた。シャーヒン大臣と同行者らを、空港でバンダ・アチェ州知事ムスタファ・エブバカルが出迎えた。
エブバカル知事と昼食をとったシャーヒン大臣と同行団は、その後赤新月社が700の住宅を建てたランプーク村を訪れた。同大臣は、この村では津波の後も残ったただ1つの建物である、赤新月社が修復したラフマトゥラー・モスク(を訪れ、)その庭で催された式典で、この村へはアチェの人々の痛みを分ち合い、津波で命を奪われた人々を追悼するために来た、と述べた。
「命を奪われた人々はわれわれに2つのことを期待している。ひとつは祈りであり、もうひとつはわれわれが残された人たちの面倒を見るということである」と述べたシャーヒン大臣は、2年間このことに尽力してきたと語った。同大臣は、津波のすぐ後にエルドアン首相とともにこの地を訪問したことに注意を向けながらさらに次のように語った。
「今回の訪問は初めてではない。2年前に来て、そして437年前に来た。スルタン・セリム2世の治世にアチェのスルタンは海賊の攻撃に対してオスマン朝に助けを求めていた。これに対してセリム2世はエジプトにあった海軍を派遣した。そして今われわれは再び起こった海からの大惨事の後、友人としてあなたがたを助けにきた。この種の災害を防ぐことは可能ではないが、災害が生み出す損害を妨げるのは可能である。このためにあらゆる災害へ備えておかなければならない。朝インドネシア副大統領のユスフ・カッラに面会した。トルコとインドネシアは今後あらゆる災害へ備えておくために協力していくだろう。
昨日(25日)バンダ・アチェの居住整備委員会の長は、(われわれの協力で建てた)住宅は非常に高級なものであると述べた。われわれは自ら欲するものを友人のためにも欲するのだ。自分たちにとって相応しくないことは友人にとっても同様であろう。ここで行ったことは心からしたいと思いしたことである。」
■ 代表の言葉
赤新月社代表テキン・キュチュクアリも行った談話で、津波の後トルコ赤新月社としてすぐにバンダ・アチェへ向かい、そして必要な支援を行った、と述べた。同代表は、災害の後に開始した「アジアが泣いている」キャンペーンに250万以上のトルコ国民が支援を行ったとし、トルコ共和国政府が確保した資金でもって災害地域への援助が実現した、と述べた。
キュチュクアリ代表は、ここで世界への模範例となる尽力と協力を示したと述べながら、この結果として、1050の住居、4つの学校、1つの社会センターを建てたこと、加えてモスクとともにオスマン朝ゆかりの墓地を修復したことに言及した。同代表は、このように今回またトルコ国民が慈善を好む性向を全世界に示すことができたとし、「トルコ赤新月が建設した学校で教育をうける子供たちは両国間の友情をより強め続けていくと信じています」と述べた。
(下略)
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( 翻訳者:小野寺香織 )
( 記事ID:4229 )