真実は闇の中―アメリカの思惑はあきらか(Yeni Safak紙)
2006年12月31日付 Yeni Safak 紙
アメリカは、全宗教にとって容赦と和解の日である犠牲祭に、イラクの堕ちた暴君サダム・フセインを絞首刑に処し、イスラーム世界へ真の意図を見せつけた。サダムの起こしたイラン‐イラク戦争、クウェート占領、及びアンファール作戦における西側との共犯の罪が闇に葬られることとなった。
イラクを24年間支配し、2003年にはじまったイラク戦争でアメリカ軍により拘束されたサダム・フセインは、バグダッドで朝の4時55分(トルコ時間)に処刑された。死刑執行は、ヌーリー・アル=マーリキー首相が、前日(30日)夜にマスコミの前で執行の書類にサインをして手続きが始められた。イラク当局者達は、特別な独房に収容されていた69歳の.サダム・フセインを朝の4:30にバグダッドのカジミヤ地区にある旧軍情報機関本部の建物に連行した。
処刑には、医師、弁護士、イマームと当局者数人が立ち会った。ヌーリー・アル=マーリキー首相も、処刑に代理を1名送りこんだ。イラクの立会人らは、処刑時、サダムにマスクはかぶされず、穏やかに見えたこと、イラク警察が彼を絞首台に連れて行き首に縄をかけた時、短い祈りを唱えたことを明らかにした。立会人らは、処刑が素早く行われ、サダムもすぐに死んだと話した。さらに、サダムは死ぬ時、「震えていなかった」と説明した。
■最後のことば
イラクの堕ちた暴君、サダム・フセインの最後のことばは、「結束を固めなさい」であった。処刑に立ち会った判事のミュニル・ハッダードは、サダムが処刑される前に、「結束を固めていけると良いのだが。忠告しておこう。イランとの連合を信じてはならない、彼らは危険だ」と言っていたと話した。ハッダード判事は、サダムが処刑される前、これとは別に、誰も恐れていないと述べたことも明らかにした。処刑に立ち会った国家保安顧問であるムヴァファク・アル・ルバイも、サダムが絞首台に、静かに、勇敢に、決心したように歩み寄り、抵抗せず何も望まなかったと語った。アル・ルバイ顧問は、コーランを手にしたサダムが、そのコーランをある人物に送って欲しいと頼み、当局者たちがこの人物の名前と住所を聞いて、送ることを約束したと明らかにした。また、彼の最期について、「サダムが恐れるな、と言うため私のほうを向いた時は変な感じがした」と話した。さらに彼は、サダムがイラク側に引き渡されてから絞首台に行くまでの全てが撮影され、この映像が公開されるかどうかは政治的決定であると発表した。
■犠牲祭への意思表示
執行は、以前から言われていたように、犠牲祭及び新年の前に行われた。死刑執行の時間帯は、金曜(29日)の夕方に集まったイラクとアメリカの当局者により決定された。イラクの国家保安顧問ムヴァファク・アル・ルバイは、犠牲祭のはじまりを意識して「サダムの処刑を特別な日に執行したかった」と話した。サダム・フセインの生まれ故郷、ティクリートでは、デモを防ぐため4日間の外出禁止が公示された。
現地の新聞はこちらから
( 翻訳者:井上さやか )
( 記事ID:4262 )