シャリーア主義はトルコではクーデターでしか権力の座につくことはできない―ケマル・カルパト教授インタビュー (Radikal紙)
2006年12月04日付 Radikal 紙

ケマル・カルパト:アメリカ、ウィスコンシン大学教授

■ケマル教授は、歴史家ですよね…

私は、一般に言われるような歴史家ではありません。私は、自分が新しい歴史認識を代表していると考えています。歴史を、一種の研究材料の宝庫あるいは、経験の源泉としてみています。そもそも歴史というものは、人々の日常生活に関連づけられて初めて意味をなします。そうでなければ無味乾燥な、ある時代を書き連ねた物語以外の何でもないですから。


■近代史を基にして今日の問題にアプローチされていますね。まずAKP(公正発展党)から始めましょう。AKPを近代史のどの運動の延長線上に見ておられますか?

AKP以前に、この国において重要なプロセスがありました。我々の国では、民主主義が正しく理解されず、限られた分野に限定されていました。そこで民主主義の名の下に反対勢力が結集し、1946年に民主党が立ち上げられ、それ以前に世俗主義の名の下で行われたいくつかの行き過ぎた政策が改善され始めたのでした。というのも、世俗主義が人間の心の自由を妨げるような形で狭く解釈され、すべての運動が宗教主義と見なされるようになっていたからです。本来、宗教主義と信心深いことの間には大きな違いがあります。


■違いとは、どういったものでしょうか?

宗教主義はイデオロギーであることもあり、宗教主義からはシャリーア国家形成の希求をはじめ、どんな考え方もでてくる可能性があります。しかし信心深いことは、政治とも国家とも無関係で、完全に個人的なことです。アッラーや預言者を心の底から信じ、実践することです。信心深いことは、必ずしも保守的であることを意味しません。一人の人が、信心深く、一方でこの上なく現代的であることも可能です。AKPの話に戻りましょうか。この国では、50年間民主主義が存在します。AKPの台頭は、トルコ国民が成熟したこと、教育水準が上がったこと、国内で民主主義が定着してきたことの結果です。AKPは、福祉党から生まれたのでありますが、トルコの現状を理解し、トルコの過去や共和国の基本原則に沿った活動方法を受け入れた若い世代の運動です。


■では、過去100年をご覧になったとき、トルコにシャリーア主義の危険性を見ていらっしゃいますか?

いいえ、見ておりません。共和国初期に起こったさまざまな反対派の主張が、どれ程「我々はシャリアを望んでいる」と表現されたとしても、実際にはカリフ制廃止への政治的反発、あるいは世俗主義の名の下に実施された変化が、人々から宗教を取り上げるための政策と見なされたので、それに対する自己防衛手段として、そういう声があがったのです。今日、シャリーア体制を樹立したいと考えている小さな集団はありますが、人々がそれらの集団に付いていく可能性は非常に低いです。シャリーア主義はトルコではクーデターによってしか権力を得ることはできないのです。


■よくわかりませんでした…

シャリーア主義国家形成を目指している人々は、トルコでは絶対に国民による選挙では政権に就くことはできません。内外の多くの支持と暴力をもってのみ初めて権力の座に着くことができます。すべてが国民の票により決定され、政府の指導者も国民によって選出され、そして民主主義が存在する限りにおいては、トルコがシャリーア主義国家になる危険性はないとおもいます。しかし、シャリーア主義者らの小さなグループの背後に組織化された軍事力があれば、そのときシャリーア主義はクーデターで政権につくことができます。同様に組織化された人種主義者や資本主義者らのグループも同じ方法で政権の座につき得るのです。これらは、国民が起こす活動ではありません。民主主義の範囲外での動きです。


■イスラムと現代性は対立しないとおっしゃっていますが、メディアを通して与えられるイスラムのイメージはこの確信に合わないように思えます。最近のアルカイダのイスラム、暴力のイスラム、テロリスト集団のイスラムといったようなイメージは、現代性に適合していますか?

そもそもアルカイダとその他の小さな集団は、イスラムを代表していないじゃないですか。世界中で誰もイスラムを代表していないし、することはできないのです。イスラムは、一つの宗教として非常にリベラルな宗教です。イラン独自のシーア派十二イマーム派以外には、イスラムで聖職者集団や、ヒエラルキーはありません。本来イスラムはその中から変化する可能性、そして潜在性を持っています。イスラムでは、「百年ごとに変革をもたらす人が現れる」と言われています。もちろん、イスラムですべてをあるがままにしておけば、世界が楽園になるといっているのではありません。宗教自体は、勝手に行動を起こすものではないからです。宗教を活動的にし、形作り、その宗教の名の下に文明あるいは恐ろしい制度を作り出すのは社会です。イスラムは11世紀に停滞し、退化しました。お分かりのように、世界で生活水準が最も低いのはムスリム社会です。なぜでしょう?それはイスラムの名の下に権力を得た諸集団や王家が、その権力や存在を維持しようと、イスラムを利用してきたからです。


■イスラムは簡単に利用されるような宗教ですか?

どんな宗教でも、安易に利用されます。過去にキリスト教も利用されました。今日模範とみなされるヨーロッパの宗教の歴史をみれば、イスラムに負けず劣らず利用されていることがわかります。しかも、もっと悪い状態です。しかし、キリスト教は、ドグマから解放されました。宗教を合理的に考え、深めていくための新たな方向性を見出しました。今現在イスラムでもこれが起こっているのです。イスラムはドグマからの解放過程にいます。イスラムは合理的な宗教です。コーランは理性に基づく聖典です。ハディースも同様にそうです。しかし誰でも宗教を堕落させることができます。道理主義から逸脱させることもできます。これを救うのが民主主義なのです。


■イスラム救済の鍵は民主主義にあるのですか?

イスラムの救済ではありません。イスラムは宗教です。それを変えることはできません。しかし、民主主義と合理主義によってイスラム社会を救済することができるかもしれません。イスラム社会は退化してしまいました。あなた方はイスラムの中にある合理的な提言に依拠しながら、イスラム社会に対し合理的で現世に適した提言ができるでしょう。イスラムは変容を受け入れます。イスラム的本質を失わずに、現代性や民主主義も受け入れることができます。そもそも、イスラムをイスラムの本質に従って理解すれば、それが現代性と対立しないことがお分かりになるでしょう。しかし、イスラムを利用している人々は、イスラムを現代性や「変化」と対立させて考えます。例えば、今日のイスラムにおいて真の女性運動というものがあります。トルコで女性の立場が望みどおりにならない理由も、宗教ではなく慣習です。何千年にも渡って、部族の中でまかり通ってきたこの慣習が、宗教の中に取り込まれ、神聖視されるようになったのです。


■では、トルコにおけるイスラムをどのように評価されていますか?最近でトルコ社会における宗教認識に変化はありましたか?

ありました。この地域の宗教認識は伝統的にリベラルで、他文化、他宗教にも寛容でした。変化があったのは、こうした宗教認識に戻ったことです。不寛容な(宗教)集団が一時的に現れても、人々の大部分は伝統的でオスマン帝国時代に経験した「リベラル」といわれるような寛容的な見方に向かっていきました。トルコにおけるイスラムの起源の一つは中央アジアです。中央アジアの部族がイスラム誕生以前に信じていた神の概念は、イスラムにおけるアッラーの概念に似ていました。

■このことはどのような結果を生み出しましたか?

昔からあった神の概念に似たものをイスラムでも見つけたので、トルコ人の大部分はイスラムを容易に受け入れました。そしてトルコ人は、アッラーがあらゆる創造物をそして考えを受け入れてくださるのだという認識をイスラムにも適応させました。現在トルコで起こっていることは、トルコ的イスラム、要するに真のイスラムへの回帰です。アナトリアのイスラムは、おそらく真のイスラムに最も近いイスラムでしょう。トルコは今それに回帰しているのです。トルコでは宗教の生きる形が柔軟になりました。そしてこの柔軟になることで、本質を見出したのです。過度にドグマ的な部分は削ぎ落とされました。こうすることで、人々はイスラムから離れるどころか、真のイスラムに近づき、より自由になりました。


■トルコでイスラムと現代性はどのように平和的に共存できますか?

現政権は、この点でとても重要な任務を担っています。一ヶ月前「歴史的一大チャンスを逃すかもしれない」という心配から、エルドアン首相に手紙を書きました。
「政権を担っているにもかかわらず、ミッリー・ギョルシュ(註:モラルや宗教教育の重要性を唱え、西洋模倣を批判し精神的物質的発展を主張する考え方。1975年にエルバカンによって唱えられた)やイスラム主義体制を布くことをAKPは諦めてはないのではという懐疑心や恐怖心が国民の間にはあります。この懐疑心がなくなるようにしてください。国民を説得し、イスラム主義国家に対する恐怖心を除去してください。信心深い人々も、無信仰者も安心できる考え方を示してください。政党の今後の活動を示す基本原則を明らかにし、それらを党内でも承認させてください。そして、あなた方に懐疑心を抱いている人々にも信頼されるようにしてください。政府が同じ思想信条の持ち主のみを集めていることは否定できないでしょう。このことに恐怖心を抱いている人々もいるのです。そのため、国民の前に立って、『我々はイスラムを、あるいは超保守的な体制を作るつもりは全くありません。国民はこのことを望んではいないし、我々は国民によって選ばれた者ですから、国民の要望に応えます。』と述べなければならない」と。


■首相から返事は来ましたか?

いいえ、来ませんでした。2ページに渡るこの手紙をそっくりそのまま公開します。AKPは、福祉党から分派した若い集団です。2月28日キャンペーン(反福祉党・イスラム復興勢力キャンペーン)を支持していませんが、結果的によい影響も残したことを否定してはいけません。2月28日キャンペーンを糧にしてAKPを立ち上げたのですから。今日、政権も報道界もすべてAKPの手中にあります。AKPは、歴史的機会を逃さなければ、トルコの社会的力を脆弱化させている宗教-世俗主義論争に終止符を打つことができます。「我々は共和国を、そしてアタテュルクを認めています。我々の民主主義に対する、そして世俗主義に対する考えはこうです。」と主張しながら、世俗主義者たちの信頼も得ながら、具体的な原則を示すこともできます。AKPは、トルコの政治問題が宗教では解決できないことはわかっているのですが…


■わかっているのなら、なぜ必要なことをしないのですか?

AKPに投票する宗教グループがいます。そのひとたちの票を失いたくないので、ご機嫌取りをしているのです。彼らに「皆と同じ宗教的権利を認めているのであって、それ以上の権利を認めるつもりはない。」と言う勇気はないのです。福祉党系の政党は、選挙で2~3.%の得票率でした。AKPの幅広い政策路線を受け入れない人は、より宗教的な福祉党系の政党に投票します。宗教主義的な集団の票を失うことを覚悟の上で思い切らなければなりません。

■では、トルコでイスラムと民族主義の関係をどう見られていますか?

それは、歴史的で感情的な問題です。民族主義の定義には「血統、言語、歴史」が含まれますが、これらがすべてではありません。それに、精神的な繋がりがありますよね。これがムスリムであると言うことです。私たちがトルコ人(millet)と言うとき、それは実際共同体を意味します。ムスリムであるということは、我々にこの社会をある意味共同体として認識させることになるのです。しかしながら、一人の人間が、社会とどういう形で繋がっているかというのが、最も重要なことです。一人の人間が社会と安定して繋がっていなければ、その社会は、存在しえないからです。

■では、トルコ人とは、誰のことを指しますか?つまり、トルコとは誰ですか?

トルコ人と呼んでいるのは、オスマン帝国の最後の20年で形成され始め、オスマン帝国時代の経験を生かし、オスマン人というアイデンティティーを守りながら、トルコ人化した人々です。我々は、政府や社会がトルコの政府であり、トルコの社会であることを認めなければなりません。


■なぜですか?

多種多様な社会や宗教に寛容だったにもかかわらず、オスマン帝国の言語はトルコ語から変わることはありませんでした。オスマン帝国には、こういったトルコ的側面があるのです。トルコ人のアイデンティティーはといえば、オスマン帝国の歴史的経験や政治文化を受け継ぎ、トルコ語で話すという現在のアイデンティティーがまさにそれなのです。
トルコ人のアイデンティティーの中に、ムスリムであることというのが含まれています。というのも、ムスリム以外は、オスマン帝国から出てブルガリア人やルーマニア人などになったからです。


■共和国時代には、ムスリムであることは、トルコ人アイデンティティーの一部ではなくなったのではないですか?

トルコ人の定義からムスリムであることは排除されましたが、実際にはまだ残っています。共和国になってからの基本的な部分での変化は数えるほどです。オスマン帝国の延長線上になければ、今日のトルコ社会はなかったわけです。オスマン帝国的社会が継続してきたのです。徐々に極端なものが排除されていき、今の状況に至るのです。現在のトルコ社会は、オスマン社会が変容しつつ継続してきたものです。


■我々の歴史で悪とされているアブデュルハミトを肯定的に歴史上で重要な人物として捉えられていますが、この見方の違いの原因は何でしょうか?

アブデュルハミトのことを悪く言う人々は、アブデュルハミトがしたことや、言ったことを知らないじゃないですか。現代トルコの基礎は、その頃に築かれたのです。1869年に出された教育法は、アブデュルハミトの時代に実施され、学校も開校されました。今日のトルコを築いてきたエリート、兵士、将校、医者はその学校で教育を受けたのです。鉄道は彼の時代に敷設され、新しいトルコの精神を表現する国民文学もその時代に誕生しました。トルコ語も、現在の形に変えられ始めたのはその頃です。アブデュルハミトは、イスラム社会がドグマティズム(教条主義)から解放され、近代化し、進化できることを述べた人物です。「ヨーロッパの今の状態は、キリスト教のドグマから解放されて初めて可能になった」とアブデュルハミトは述べています。アブデュルハミトの専制は最悪でしたが、1つの帝国を600年もの間統括してきた名家の子孫です。スルタンとしての彼の任務は、帝国全体を守ることであり、実際にある程度までは守り抜きました。



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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:4054 )