元ロシア情報機関員リトビネンコ氏はムスリムだったのか(Yeni Safak紙)
2006年12月05日付 Yeni Safak 紙
イギリスで毒殺された元ロシア情報機関員アレクサンドル・リトビネンコ氏が、生前、イスラームにのっとった埋葬を望んでいたことが分かった。リトビネンコ氏の父親、バリテル・リトビネンコ氏は、息子が死の床で自分からこのように望んできたことを明らかにした。コメルサント紙の取材に答えたリトビネンコ氏の父は、次のように述べた。
「息子は私に『イスラームに則ったかたちで埋葬されたい。』といいました。私は『わかったよ。お前の望むようにするからね。私達家族の中にはいつもムスリムがいた。大切なことは、神を信じること。神はひとつなのだ』と答えました。」
■コーランの一節を読んだ
一方ではロシアのコムソモーリスカヤ・プラウダ紙がチェチェン武装勢力のインターネット・サイトを情報源に示し、リトビネンコ氏が死の直前にイスラームに改宗したと報道した。リトビネンコ氏が息をひきとる際、あるひとりの人物が彼の枕元に座りコーランの一節、ヤー・スィーン章を読み、そしてリトビネンコ氏がムスリム墓地埋葬を遺言したという。
チェチェン武装勢力はあるインターネット・サイトをとおして、死亡した情報機関員が少し前に「イマームの前でイスラームに改宗した」ことを主張し、リトビネンコ氏を「殉教者」と宣言した。
■ザカエフの友人だった
多くの専門家によると元情報機関員リトビネンコ氏は、ロシアが行っているチェチェンを統制するための戦いの犠牲になった。リトビネンコ氏は、ロンドンで亡命生活を送る反政府チェチェン人指導者のひとりアフメド・ザカエフ氏の友人であった。このためリトビネンコ氏が、チェチェンのカディロフ政権を支持するロシア政府の標的となった可能性があると言われている。
■元情報機関員の最後の記事
ロンドンで亡命生活を送っていたリトビネンコ氏はチェチェンプレスへの寄稿記事のなかで、9月7日に家の前で射殺されたアンナ・ポリトコフスカヤ氏が、プーチン大統領に殺されると語っていたと伝えていた。同氏は10月8日に掲載された記事のなかでは次のように書いている。「われわれ2人とも、プーチンが戦犯でチェチェン人大量虐殺の罪を犯したこと、そして独立法廷で裁判にかけられる必要があると考えていました。」
■息子を殺したウラジミール・プーチン
アレクサンドル・リトビネンコ氏の父親は、息子の死に元KGB謀報員が関与しているという主張には同意せず、この殺害にロシアのウラジミール・プーチン大統領が関わっていると信じていると述べ、次のようにつづけた。
「廃止されたような組織が元諜報員を殺害したりしません。息子の殺害には上からの命令があったのです。プーチンが許可を出し、ロシアの情報機関によって行われたことに疑いの余地はありません。」父、リトビネンコ氏は息子を埋葬した後、ロシアに戻る予定だという。
元情報機関員のリトビネンコ氏は、プーチンの政策、とくにチェチェン政策について批判したことで知られていた。
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( 翻訳者:小野寺香織 )
( 記事ID:4061 )