ローマ法王がモスクで祈りを捧げたことにカトリック教会が怒り(Milliyet紙)
2006年12月08日付 Milliyet 紙
ローマ・カトリック教会の法王、ベネディクト16世が訪問先のイスタンブルのスルタン・アフメト・モスクで、イスタンブル県宗務局ムスタファ・チャールジュ局長の「黙祷」への誘いに応じた際の行為が大げさに捉えられ、ヴァチカンの人々は不快感を抱いている。
ローマ法王庁キリスト教一致推進評議会議長のヴァルター・カスパー枢機卿は、スルタン・アフメト・モスクでの法王の行為はキリスト教の立場からは「礼拝」とは言えないとした。
カスパー枢機卿は、イタリアのスカイTVに対し、「私はスルタン・アフメトでのあの沈黙の瞬間に法王が何をしたかは知らない。ただしあれはただの熟考、瞑想とでも言うものであった。特に取り上げる程の出来事ではない。」とコメントした。
同枢機卿は続けて、法王も含めあらゆるキリスト教徒はイスラム教徒の聖域で祈りを捧げることなどできないと話し、「もしあれが礼拝であったなら、これは公式の礼拝、つまり我々が認知している意味での慣習的な礼拝とは言えない。こんなことは不可能である。イスラムの聖域で慣習的な礼拝などできるはずがない。」と語った。
昨日(7日)の式典でも法王は、スルタン・アフメト・モスクでの出来事について、自身がとった行為は「礼拝」ではなくただの「瞑想」だと話し、ヴァチカンのメディアを注目させた。
昨日の演説で法王は、スルタン・アフメト・モスクでの行為を、当初から予定していたのではないにしろ「神の思し召し」であったと主張し、「私はあの祈りの場所で数分間、瞑想の形で、全人類の慈悲深い父、大地と空の唯一の神に向かったのだ。信ずる者は皆、神によって創造されたことを思い起こすべきであり、真の兄弟となるべきだ。」と話した。
■ 前任者はこのような思い切ったことは出来なかった
法王のスルタン・アフメト・モスクでの行為はカトリック教会に不快感を与えた。
イタリアの著名なカトリック神学者の一人、リノ・カミリエル氏はイル・ジョルナーレ紙に「ベネディクト16世:トルコへの無益な儀礼訪問」とのタイトルで、以下のような記事を載せ、不快感を露わにした。
「法王はモスクへ靴を脱いで入った。さらにそれだけでなく、メッカの方角を向いて祈りを捧げた。驚くようなことを数多く行ったベネディクト16世の前任者、ヨハネ・パウロ2世でさえ、このような思い切ったことは出来なかった。」
ヴァチカンの専門家らは、法王が今回の行為を礼拝ではなく「瞑想」だとしたことや、カスパー枢機卿による上記のようなコメントは、スルタン・アフメトでの出来事の意味が誇張されないよう説明の必要性を感じたからだと指摘している。
■ヨハネ・パウロ2世もモスクへ入った
歴代のローマ法王の中で初めてモスクに足を踏み入れたのはヨハネ・パウロ2世であった。ヨハネ・パウロ2世は2001年3月にダマスカスのウマイヤ・モスクを訪問し、そこで当初の予定通り洗礼者ヤフヤ(ヨハネ)の墓に向かって祈りを捧げた。
当時イスラム世界はヨハネ・パウロ2世のモスク訪問を大きな意味に捉えていたが、カトリック教会の上層部は、法王はあくまでもキリスト教の信仰の中で聖人とされている、洗礼者ヤフヤ(ヨハネ)の墓に祈りを捧げるために訪問したと定義していた。
法王のトルコ訪問中の公式プログラムでは唯一スルタン・アフメト・モスクの訪問だけが予定されていた。
モスク訪問時のベネディクト16世が「瞑想」と主張する事件は、イスタンブル県宗務局のムスタファ・チャールジュ局長が来賓である法王をミフラーブ(メッカの方角を示す壁のくぼみ)の前で「黙祷」に誘った結果起こった。
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( 翻訳者:永井ひとみ )
( 記事ID:4076 )