Hasan Pulur コラム:詩における外国人女性たちの変遷 (Milliyet紙)
2006年01月08日付 Milliyet 紙

 はて、我が国の詩人たちには、どれほど外国風の名を持つ恋人がいるのだろうか。詩にはどれほど外国人女性の名前が使われているのか。
 これはヒルミ・ヤヴズが取りまとめなければ、おそらく多くの人の関心を集めることはなかっただろう。
 彼によると、トルコ語の詩における外国風の名前は、共和国成立後に作られた詩に相当広範囲に見出されるとのことである。
 例を挙げると、オルハン・ヴェリの「エディフ・アルメリア」、メリフ・ジェヴデト・アンダイの「エミリア」、アサフ・ハレット・チェレビの「マリイヤ」、オズデミル・アサフの「ラヴィニア」、セザイ・カラコチの「モナ・ロサ」、アッティラ・イルハンの「ピア」「ハンネリセ」「マリア・ミサクヤン」などである。

 ヒルミ・ヤヴズは、これらの事実を明らかにした上で解説を行った。なぜ共和国以降の詩に、このように外国人女性の名前が見られるのだろうか?このことは西洋化との関連はあったのだろうか?
なぜならタンズィマート期とセルヴェティ・フュヌン誌に発表された小説では、外国人女性は、軽薄な素性の者かまたは女家庭教師として扱われていたからだ。しかし共和国期の詩では「恋人」に格上げされていたのである。
ヒルミ・ヤヴズは、「西洋化が、外国人女性を公的な身分から個人的身分へと変化させたということを、ここで指摘すべきだろうか?」という問いを投げかけている。

 西洋化は、現代文明に対して何を必要としているのだろうか?
女家庭教師、またはふしだらな女たちは、共和国期の詩では突如として恋人として登場したのである。
それは何故か?

 ヒルミ・ヤヴズの「グローリア」という詩がある。ヤヴズ自身はこの詩について次のように述べている。
「17歳のときに書いた作品だが、未熟なところはなくよくできている。しかし、私の本にはその詩は加えなかった。」
17歳のときに書いた作品にも関わらず、未熟なところがない、という。
いやいや、その言い方はあまりに謙虚である。「未熟でない」どころではない。

 その素晴らしい「グローリア」をここでお目にかけよう。
 ヒルミ・ヤヴズの本には収録されていない詩である。

「街路のように疲れた
 放っておいてくれ、ここにいたいのだ
 私を想うな、グローリア、
 私はあやつり人形だ

 誰かが角を曲がった
 一つの影、シャツは黒く、
 2つの百合のような腕は
 開かれた、闇に向かって

 眼の片方はすみれ色、
 もう片方は哀しい夢
 港は君を殺すだろう
 殺すだろう君を、グローリア
 
 街路のように疲れた
 放っておいてくれ、ここにいたいのだ
 私を想うな、グローリア、
 私はあやつり人形だ」

 さて、コラムの終わりにヒルミ・ヤヴズの「グローリア」に関する一つの秘密を明かそう。青年期に何人の友達が、その詩は自分が書いたのだと言って娘をだましたか、ご存知だろうか?
 「郵便配達人」という映画で、恋人にパブロ・ネルーダの詩を読んでいた郵便配達人は、詩人に何と言ったのか?「君が詩を書いて発表した後は、詩はすでに君のものじゃなく、皆のものだ。」


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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:1680 )