駅のスィミット売りのおじさん・・・実はオクスフォード大出身だった(Hürriyet紙)
2006年02月04日付 Hurriyet 紙

オクスフォード大学衛生物理学部で教育を受けた後、アンカラ原子力研究教育センター(ANAEM)と郵便局の衛星通信部で勤務したヒュセイン・アクマン氏は、現在エスキシェヒル駅でスィミットを売って生活している。

1950年にアンタリヤで生まれたアクマン氏は、NATOの将校であった父親のアルバイ・エルトゥールル・アクマン氏がイタリアで任務につくことになったため、幼少時代のはじめをイタリアで過ごした。アクマン氏は当時イタリアの学校ではトルコ人児童への教育に問題があったため父親によりイギリスへ送られた。そこで優秀な成績を収めたアクマン氏は、その後オクスフォード大学衛生物理学部へ進学した。大学に2年間通ったアクマン氏はトルコへ戻った。トルコですぐに仕事を見つけたアクマン氏は、2年間原子力エネルギー委員会の付属機関であるANAEMに勤めた。レントゲン装置の放射漏れの有無を調べていたアクマン氏は、この間、トルコのあらゆる場所を訪ねる機会を得た。ANAEMの仕事を辞めたアクマン氏は、今度は郵便局の技術局衛星通信部で2年間働いた。さらにその後、兵役に就いたアクマン氏は兵役から戻ると、家庭の問題やギャンブル中毒が原因で仕事も財産も失い、アンカラからエスキシェヒルへ移住した。

■「スィミットを売って生活している」
アクマン氏は記者に対し、1975年にエスキシェヒルに来たことを明かし、駅で乗客にスィミットやポアチャを売って生活していると語った。最終学歴がイギリスのオクスフォード大学であることから、誰もが彼を“英国人ヒュセイン”というあだ名で呼ぶと話すアクマン氏は次のように述べた。
「一時はもちろん理想があった。しかし何一つ実現できなかった。その頃は素晴らしいチャンスも多かったが、それらをうまく生かすことができなかった。ギャンブルにのめり込むと仕事を辞めざるを得なくなった。今のような状況になったのもギャンブルのせいだ。夜の9時に駅へ来て、夜中、乗客へスィミットを売っている。とにかく生きるために何かしなければならなかった。エスキシェヒルでお腹を満たせるようになりここに住み着いた。エスキシェヒルに来たときにはとても苦労した。駅の待合室や早朝営業のカフェでよく寝たものだ」。

■「自責の念にかられている」
アクマン氏は孤独になるにつれ一層過去を振り返るようになったといい、手に入れた良い機会をうまく生かすことが出来なかったことで自責の念にかられていると語った。一度も結婚せず、一人で生きてきたと話すアクマン氏は次のように続けた。
「人を愛する気持ちとか、生きることへの執着心を失った。とても悪い人間と付き合ったせいで、人を信頼する気持ちが失われてしまった。けれども、子どもや動物がとても好きだ。今日まで人生から得たものは、大きな孤独だ。もう明日のことも考えられないでいる。望みや夢を抱くことを忘れた。私にできることは、人生を早くやり過ごすことだけだ」。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:清水 葉月 )
( 記事ID:1838 )