「クルド問題コンフェランス」混乱なく終了(Milliyet紙)
2006年03月13日付 Milliyet 紙

ヘルシンキ市民議会とエンパシー・グループによりビルギ大学で2日間にわたって開催された、「文民による民主的解決策の模索1-トルコにおけるクルド問題」コンフェランスは、昨日行われたセッションを最後に閉幕した。同大学周辺では警察が警備に当たったが、反対デモなどは行われなかった。

「トルコにおけるクルド問題が、もう南東部における爆破攻撃や衝突の結果として議論されないように。クルド問題といえば、アカデミックな環境の中で一人一人が解決策を模索することを意味するように・・・」。
ビルギ大学に集まったトルコ人とクルド人の知識人たちの共通の願いは、以上のようにまとめることが出来る。2日間続いたクルド問題コンフェランスは、「クルド問題」がすでに闘争からは程遠い環境で民主的に議論しあえる状況になったということを明らかにした。
1990年にトルコ人とクルド人の知識人たちを対面させたヘルシンキ市民議会は、16年後今度は50人の知識人を大学を囲む警察と警備隊の列を通り抜け一堂に集結させた。

■過ちは過去から
オスマン・バイデミル(ディヤルバクル市長)
トルコ語を知らないことを無知だと感じることはとても痛ましいことだ。私が小学校に通い始めたとき、トルコ語は1単語も知らなかった。このことが私にとってのトラウマになっていたことを説明するのはそれほど容易なことではない。私たちは授業で「エロル(トルコ人の名前)、ボールをこっちへ投げて」と言っていた。あの頃「ロジダ(クルド人の名前)、ボールをムグルト(同)に投げて」と言っていたなら今、この問題を議論してはいなかっただろう。ロジダはしまいには自分の存在を知ってほしくてボールを破裂させてしまうに違いない。そもそも破裂したボールじゃ遊ばないというはずだ。こうしてボールは破裂した。
暴力をクルド問題の解決に向け排除することができれば、よりスピーディーに解決プロセスが実現するはずと私は信じている。エルドアン首相のディヤルバクルでの会見は満足いく内容のものであった・・・ 首相は上部アイデンティティーと下部アイデンティティーの議論に道を開いてくれた。トルコ人とクルド人が共に責任を果たさなければ、将来に不安を感じる。

■クルド人は少数派の概念を認めないにもかかわらず、少数派の権利を要求している
バスクン・オラン教授(アンカラ大社会科学部)
トルコのクルド人は、少数派という概念を否定するが、少数派の権利は要求している。クルド人が「我々は少数民族ではない。トルコを構成する主要な要素である」と言うとき、とりもなおさず誤った認識を表明していることになる。間違った認識とは、1454年に開始されたミッレトシステムのキー概念である「支配ミッレト(millet-i hakime)」という概念である。これは1839年、実際には1856年の勅令により廃止されたミッレトシステムの持つ概念である。
これには数え切れないほどの罪がある。まず、トルコにはクルド人とトルコ人だけでなく、チェルケス人や非ムスリムも存在していたのに、彼らを疎外し、よそ者扱いした点である。2つ目は、クルド人を標的にしている点である。3つ目は、クルド人を見下している点である。誰かを見下すということは、自分も見下しているということと同じである。「私は支配ミッレトの一員だ」という時、自分以外、またトルコ人以外は自動的に主要で根元的な集団ではないということを意味するからである。私はもちろん、これが思い上がったクルド人にアプローチするための方法であるとは思っていない。トルコ人をもひどく脅かすからだ。だから我々が言っているように、トルコ人という概念を上位アイデンティティーとして用いることはできないのだ。なぜならそれは分離主義的だからである。
その代わりにトルコ国民という概念を用いるべきである。トルコ人という概念は、同時に支配民族集団を指すため上位アイデンティティーとして使うことはできない。トルコ人もまた下位アイデンティティーの1つである。上位アイデンティティーは、すべてを包含するトルコ国民である。トルコ人という概念が上位アイデンティティーから下位アイデンティティーに引き下げるとき、クルド人というアイデンティティーを持ち上げてトルコ人の隣に置けばいいというのではない。最初の概念が分離主義的であれば、次の概念も同じだけ分離主義的である。こうした支配ミッレトという精神構造を受け継ぐアプローチは、クルド人の自己批判を妨げ、彼らの大きな過ちを導きかねない。

■表現の自由を
ニリュフェル・アクバル(クルド人アーティスト)
私がクルド音楽をやっているというと、相手は顔に不安の表情を浮かべる。「もしかしてテロリストなのか?」と。禁制や偏見のせいで、私たちは仕事に100%集中できているわけではない。常にもう一方のものという状況に置かれてきた。クルド人のものでもなく国のものでもない、その中間のものだと。それでも、(ムシュ県)ヴァルトの2メートルもの泥を越え、ここまできた1人のミュージシャンとして、私はこれからも自分の道を歩んでいく。私はこの国の国民なのだ。自分の母語で歌を歌いたいのだ。ここに属していると感じたいのだ。私はこの国に属しており、ここは自分の国なのだから。私はクルド人だが、ここは私の国だ。自分の国で自分の音楽を演奏する権利があるはずだ。
ニリュフェル・アクバルはコンフェランスの最後に予定外に舞台へ上がった。クルド語の歌を歌うアクバルに、会場にいた人々は拍手を贈って支持した。

■暴力のある場所で解決策は生まれない
イルテル・チュルクメン(元外務大臣)
民主主義の中で問題を解決するとき、暴力が許される余地はない。暴力のある場所で民主主義は解決策を生み出せない。クルド問題においても、解決を望む皆が暴力から決別することが重要だ。「トルコ国民」という概念を使うためにも、憲法の「不可変条項」を改正する必要がある。

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( 翻訳者:坂 泉穂 )
( 記事ID:2052 )