クルド語を第二公用語に―「クルド・シンポジウム」で爆弾提案(Milliyet紙)
2006年03月13日付 Milliyet 紙
ヘルシンキ市民議会とエンパシー・グループが開催した「トルコが抱えるクルド問題」シンポジウムで今後議論を呼ぶであろう提案が出された。同シンポジウムはビルギ大学で行われ、13日に閉会。参加者の一人、サリフ・アクン氏は「クルド語を第二公用語にすべき」と主張した。
サリフ・アクン助教授(ルーアン大学言語情報学部)
■クルド語を第二公用語にすべき
世界にある6500の言語のうち、半数は消滅の危機に瀕している。消滅する言語はそれぞれ特有の世界観を保持しており、一つの言語が消滅することは一つの文化の消滅を意味する。2004年の統計によれば、スイスでは5745人の学生がクルド語による教育を受けている。この統計は「クルド人は母語による教育を望んでいない」との主張を覆すという点でも重要だ。研究では、母国語で教育を受けた子どもたちがより優秀な成績を収めることもわかっている。
クルド語がトルコの第二公用語として承認されるということは次のことを意味する:憲法第42条の改正、母語としてのクルド語教育の実現可能性の高まり、クルド語教育のトルコ語教育と同じく公的な教育制度にのっとった実施、クルド語教育にかかる全経費の政府予算からの捻出、小学校から大学までの二言語教育制度の構築、クルド語による教師の育成と教科書の準備、クルド語話者の国家公務員への登用。
デルヤ・サザック(本紙記者)
■圧力や頑なな態度では解決されない
クルド問題は人権侵害と試練の真っ只中にあると考える。9月12日にディヤルバクル刑務所で起こった残酷な拷問事件が果たした役割も大きかった。圧力や頑なな態度ではこの問題は解決されない。クルド問題は、再び痛ましい事件に陥ることなく民主主義の中で解決されうるのだ。
メディアは司法の圧力に屈服せず、シェムディンリ事件を幕引きしてはならない。シェムディンリ事件は(クルド問題解決の)幕開けなのだ。挑発的にならずに、この緊張を緩和する平和的環境をつくる必要がある。このシンポジウムはバトゥマン、ハッキャーリ、ディヤルバクルでも開催すべきだ。発展や子どもの死についても話し合わなければならない。もう90年代には戻ってはならない。母親が子どもの携帯電話から死のメッセージを受け取るような出来事があってはならない。
M・アリ・ビランド(チャンネルD放送局長)
■クルド人を恐れている
政府には1つの基本政策がある。それはクルド人への恐れだ。私たちはあなた方を恐れているのだ。いつかあなた方が「もう十分だ。ここはもらった。出て行く」と言うのを恐れているのだ。こうした根本的な恐怖と、その上に築かれた政策が存在する。これ以外にも精緻な政策が求められる場面で、政府は突如としてお手上げ状態となり、混乱に包まれる。
中期的に見てクルド問題が解決されるとはとても信じられない。ずっと続いていくだろう。しかし重要なのはクルド問題と共存すること、つまり問題を共存できる状態にすることではなかろうか?
ヨーロッパ連合(EU)以外に、EUプロジェクトを抜きにしてクルド問題が解決されるとは到底思えない。ただし、EUをトルコにとっての軍隊のこん棒のように利用しようとすることにも強い反発があることを忘れてはならない。
エルジャン・カラカシュ(元大臣、国会議員)
■恩赦に向けた勇気ある決断が条件
クルド問題は一つの「民主主義問題」だ。自由と民主主義が深まればこの問題も解決される。現代において暴力は問題解決の策とはなりえない。クルド問題解決のためにはまず「クルド人という身分」が認められなければならない。この身分は法律と憲法により保証されなければならない。村落警察(民兵)の制度も廃止されるべきだ。地域の平和が恒久的なものにするには、これまで武装してきた人々を社会的、民主的な生活に参加させる必要がある。恩赦に向けた勇気ある決断が必要だ。
アムベリン・ザマン(新聞記者)
■トルコ人に反感、クルド人に共感
私は1992年から海外の報道機関と通信社のためにトルコで働いている。私が東部で仕事をした時期はテロが多発した時期でもあり、私たちはトルコ政府により常に追跡されていた。トルコのメディアも時々追跡の道具にされていた。こうして私たちはトルコ政府に対する反感と、クルド人に対する共感を持つようになった。しかし1999年以降、すべてが変わり始めた。私は使う単語を非常に慎重に選ばなければならない。ケマル・ケリンチシズのような人間が私を訴えるかもしれないからだ。
アリフ・セヴィンチ(作家)
■解決の道は連邦制
クルド労働者党(PKK)が大した攻撃をしなかったであるとか、ひどい攻撃をしたであるということは重要でない。東部から大都市に移住してくるクルド人たちは現在シンナーの密売人やひったくりをしている。暴力を直ちにやめなければならない。クルド問題は国家規模の問題である。キプロスで10万人の人々のために適用されたモデルが、なぜクルド人には適用されないのか?私は、解決策は連邦制にあると考える。
ゾザン・オズギョクチェ(ヴァン市議会議員)
■私の名前はコミュニケーションを断絶させる
慣習に基づく殺人の罪が重くなったため、自殺が増えるであろうことは分かっていた。女性たちも互いに同じ言葉を使ってはいない。戦争か、テロか、PeKeKeかPeKaKaかといった単語でさえ、相互理解のつまづきとなり得る。私の名前は私の家族が裁判で勝ち取ったものだが、大抵名前を言うが早いかコミュニケーションが断絶してしまう。
フェルダ・ジェミルオール(女性実業家)
■何を争っているのかわからない
人が自分を何だと感じるかは非常に重要だ。私は自分をクルド人であると感じている。11歳になるまでは夢はすべてクルド語で見ていたからだ。その後16歳になり、頭がトルコ化する過程で私は夢を見なくなった。夢が混乱したのだ。どの言語で夢を見たらよいのかわからなくなってしまった。もちろんおかしな話ではあるが、つらいことだ。
私は仕事の関係でイスタンブル、ディヤルバクル、アルビルを転々としている。イラクで食べ、飲まれているもの、建物を建て直す工事に使われている建材、そして労働力はたいていトルコから来ている。私たちが一体何を争い、戦っているのか理解できない。
私は一方で貿易をし、一方で自分をトルコ国民だと考えているが、イラクで暮らし仕事をしている。「クルディスタンへようこそ」の後にイラクに行けば、トルコにいるように感じるだろう。ほこりと建設工事を除けば、だ。
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( 翻訳者:倉本 さをり )
( 記事ID:2058 )