2006年度予算案が可決:2名の国会議員が抗議のために議員辞職 シャルグ紙
2006年03月15日付 Sharq 紙

2006年3月15日付シャルグ紙1面

【政治部:イーラジ・ジャムシーディー】国会議員らは昨日、12日間にわたる調査・検討を経て、総額191兆5170億トマーン〔約24.5兆円〕にのぼる1385年〔2006年3月21日〜2007年3月20日〕予算案を、紆余曲折の末、可決した。投票に参加した議員218名のうち、155名が同予算案に賛成票を投じた。この賛成票の数は、国会が過去可決した予算案の中でも、最も低いものの一つであると思われる。

 予算合同委員会のスポークスマンを務めるモハンマド・メフディー・モファッタフ議員によると、可決された予算案の上限は、政府が当初提出していた予算案の上限よりも2.1%少ない額に抑えられているという。政府が提示した予算法案は総額195兆トマーン〔約25兆円〕であった。

 昨日予算法案総則が可決されたのは、国会議長団の運営方法をめぐり、抗議や非難の波が最高潮に達する中でのことだった。その結果、2名の国会議員が抗議のために議員の職を辞す事態となった。

 他方、国会は25億トマーン〔約3億2千万円〕の政党助成金の可決を見送り、年金の調整のための7200億トマーン〔約920億円〕の予算を他の機関に割り当てることを決定した。

 国会議員らが抗議を繰り返したため、予算法案を最終的に承認するための国会最終公開本会議は、過去数日と同様に、険悪な雰囲気となり、国会議長団の運営に抗議する議員らとその他の議員らとの間で、激しい言葉のやり取りがかわされる事態となった。抗議は主に、なぜ国会議長団は予算法案に付された20の捕捉に対して、議員らが修正提案を行うことを許可しないのか、という点にあった。議員らから提起された修正提案は、6000以上にものぼり、うち1806の提案が書面に起こされたが、そのうち議場に提出されたのは347にすぎず、国会議長団は残りの提案が提出されるのを許可しなかったのである。その理由は、検討するための時間が足りない、というものであった。最終的に承認されたのは、提起された6000もの提案のうち、たった72件に過ぎなかった。

 〔中略〕

 ▼前例のない予算

 ところで、第9期政府のもとで初めて提出された予算法案に対する第7議会での12日間に及ぶ審議は、多くの抗議や騒動の中で終了したが、それはイランで可決された予算としては前例のない経過を辿ったといえる。予算法案が国会に提出された後、予算のあり方に対して議員らによって比較的重要な変更が加えられたことで、政府はいくぶん目に見えるかたちで、国会を批判することになったからである。

 マフムード・アフマディーネジャード大統領、ファルハード・ラフバル行政企画庁長官、ダーヴード・ダーネシュ=ジャアファリー経済相ら政府首脳は国会を批判して、予算法案に対して加えられた変更は大統領の選挙スローガンの実現を阻むものであり、インフレを誘発し、開発プロジェクトの完結性を損ない、求人数を減少させるものだとした。それに対して国会の有力議員らは、政府提出の予算案こそインフレを誘発し、求人数の減少と生産力の低下を招くものであるとして、それに手を加えたのであった。

 最終的に1385年予算は、政府が当初提案していた額よりも4兆トマーン〔約5100億円〕減額されただけで可決されたが、しかし審議期間中に起きたさまざまな出来事は、国の経済政策をどのように描くかをめぐって、国会と政府との間に根本的な見解の差があることを露呈する格好となった。

 また、国会で承認された一部の提案が無視されるという、予算法案可決の過程ではこれまであまりなかったような出来事も起きた。国会が自らの決定を覆すようなことは、これまで前例がないからである。そればかりか、国会議長団は少なくとも3つの事例で、自らの決定を押し通し、開発予算では国会が4時間にわたり休会へと追い込まれるという出来事まであった。

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:2069 )