ソルターニー氏、拘束から219日で保釈 シャルグ紙
2006年03月06日付 Sharq 紙

2006年3月6日付シャルグ紙1面

【政治部:モハンマド・ジャヴァードルーフ】弁護士でイラン弁護士協会理事を務めるアブドル・ファッターフ・ソルターニー氏が、1億トマーン〔約1300万円〕の保釈金で保釈された。同氏が一時的に拘束されてから、219日目のことであった。

 二日間で保釈金の支払いを終えたソルターニー氏は、昨日午後4時頃釈放される予定であった。しかし、家族が219日もの間待ちわびていた彼の釈放が実現されたのは、夜8時頃のことであった。それまで彼の家族は、エヴィン刑務所の門の前で、数時間待たざるを得なかった。

 ソルターニー氏は釈放から数時間後、エクバーターン地区にある彼の自宅で、本紙記者に対し、「収監されている間はずっと、エヴィン刑務所の第209号棟で過ごした」と語った。同氏は刑務所での監視体制や、約半年にも及ぶ拘束期間中2ヶ月間を独房で過ごしたことを強く批判し、拘束から一日が経った日に、最初の担当判事は1億トマーンの保釈金で保釈するつもりであったと明かした。拘束から6ヶ月が経った現在になって、やっとそれが実現されたことになる。

 ソルターニー氏はさらに、「最初の判事が保釈の決定を下してから数時間後に、同判事は何らかの事情から、私を一時的に拘束する旨の司法判断を下した」とした。その上でソルターニー弁護士は、一つの容疑に対して二つの異なる司法判断を、それも数時間の内に下すことは、司法手続き上の内規に反した行為だ、と述べた。

 ソルターニー氏が拘束された最初の数日間、彼に対して認定された容疑は、「司法に対する侮辱」及び「反体制的喧伝」であった。しかし同氏によると、拘束から25日後、「国家安全保障に反する行為」が彼の罪状に加えられたとのことだ。これらの容疑は、ソルターニー弁護士が弁護を担当した4つの裁判に関わっている。すなわち、核施設に対するスパイ容疑の容疑者に関する弁護が2件、ジャーナリストであったザフラー・カーゼミー氏の殺害に関する裁判〔*注1〕、そして前情報省関係者に関する裁判、である。

 これらの容疑が提出されてから数週間後になって、やっとソルターニー氏は家族との面会が許された。「それまでは、面会禁止であった。家族に対して面会の許可が下ったのは、拘束されてから1ヶ月半後であった」。しかし、「私の弁護を担当する弁護士は、拘束から6ヶ月が経っても、私と一切接見できなかった。冬のはじめ頃になって初めて、ナジャフィー=タヴァーナー氏が2〜3時間私と接見することができた」。

 ナジャフィー=タヴァーナー氏は、ソルターニー氏の弁護を担当する7人の弁護士の一人。ソルターニー氏の弁護には、ナジャフィー=タヴァーナー氏以外に、ファリーデ・ゲイラト氏とザフラー・パラーキャンド氏、そしてシーリーン・エバーディー氏、モハンマド・セイフザーデ氏、モハンマド・アリー・ダードハーフ氏、アミール・ホセインアーバーディー氏がいる。ゲイラト氏とパラーキャンド氏は、昨夜ソルターニー氏釈放後、誰よりも早く彼との面会に訪れていた。

〔後略〕

〔注1:ザフラー・カーゼミーはイラン系カナダ人女性フォト・ジャーナリストで、2003年にエヴィン刑務所前で写真撮影をしていた際に治安当局により拘束、その後脳への打撲により死亡した。当初、司法関係者は事件ではなく事故として処理しようとしたが、その後拷問・殺害の容疑で、情報省関係者が逮捕された。しかしその後、情報省関係者ではなく、司法関係者が拷問・殺害に関与していたとの疑いが強まり、ハータミー政権下の政府と司法との間で責任のなすり合いが起きた。逮捕された情報省関係者はその後無罪となった。この事件でソルターニー氏やノーベル平和賞受賞者のシーリーン・エバーディー氏は、カーゼミー氏の親族の要求の弁護を引き受け、司法省関係者に対する徹底した取り調べを要求していた。なおこの事件で、カーゼミー氏が「イラン国籍保有者」として認定され、同氏の遺体がイラン国内に埋葬されたことで、遺体の引き渡しと司法解剖を要求していたカナダ政府とそれを拒んだイラン政府との間で厳しい対立が生じた。カナダ政府は国連に対し、イランの人権侵害を非難する決議案を提出している。〕

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:2012 )