傷心のナーテグヌーリー師 シャルグ紙
2006年04月13日付 Sharq 紙

2006年4月13日付シャルグ紙2面

【アーフターブ通信】タブリーズ選出のモハンマド・レザー・ミールタージョッディーニー議員は、ナーテグヌーリー師の《革命諸勢力調整評議会》からの離脱の理由や、イラン・イスラーム参加戦線のメンバーとの会合について、「ナーテグヌーリー師が政府批判勢力と接近したとの見方は正しくない」と述べ、さらに「ナーテグヌーリー師は、大統領選挙の際に同じ〔保守的な〕方向性を有する各政治団体間に亀裂が生まれたことに、心を痛められたのだ」と付け加えた。

 同氏はまた、「各大統領候補者間に対立や亀裂が生じ、ナーテグヌーリー師の問題解決への努力も実を結ばなかったことなどを考え、同師は自らの政治的党派活動を単独で追求する決意をしたのである。このことは、同師が政府批判勢力に接近したということでは、まったくない」。

 革命勢力調整評議会の一員でもあるミールタージョッディーニー議員はさらに、次のように付け加えた。「革命諸勢力調整評議会を構成する各派は、今後もナーテグヌーリー師と話し合いを続けていくことになるだろう。かつてのように、評議会に参加することはなくとも、《原理主義派》の各党派との関係は維持して、〔保守〕グループから完全に離脱するようなことはないだろう」。同議員はその上で、次のように説明した。「ナーテグヌーリー師は、政治活動においては穏健を旨としている。同師は自らの政治的経験を何らかの形あるものにし、原理主義派との協力の精神と感情的つながりを持ち続けようと努めている。同師は今後とも、原理主義派との関係を維持していくものと、私は信じている」。

〔訳注:ナーテグヌーリー師は保守派の重鎮で、1992年から2000年まで国会議長として活躍した人物。1997年の大統領選挙に出馬し、本命と目されていたが、ハータミー師に破れた。《革命諸勢力調整評議会》は国会選挙や大統領選挙で保守各派を糾合するために作られた団体だが、大統領選挙では保守派候補を一本化することに失敗した。イラン・イスラーム参加戦線はハータミー師の弟で第6議会の副議長を務めたモハンマド・レザー・ハータミーを中心とした改革派の政治集団〕

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( 翻訳者:斎藤正道 )
( 記事ID:2203 )