イスタンブルでチューリップ時代、ふたたび?(Radikal紙)
2006年04月09日付 Radikal 紙

オスマン朝の一時代を象徴するチューリップがイスタンブルの街角に復活した。市が100万リラを投じたキャンペーンで植栽された22種類・300万本ものチューリップが市民の目を楽しませている。

冬が終わり暖かい気候を心待ちにしていたイスタンブル市民はこの春、色あざやかに飾られた通りや公園に胸を躍らせている。何十種類もの色を揃えて舞い戻ってきた「愛と情熱の花」チューリップは、街が華やかなりし頃から今に残るいにしえの歌を思い出させるかのようである。
赤い色をフェルハットが永遠の愛をアスルに捧げたときの血から得たと信じられており、1500以上の種類を持ち、オスマン朝の一時代にもその名前が取られたチューリップ。セルジューク朝によってアジアからアナトリアへ持ち込まれ、オスマン朝とともにイスタンブルに広まった。征服地でも植えられたチューリップは、トルコ文明のシンボルとなった。オスマン朝政府は3000を超える勅令にチューリップの花押を押すほどこの花に愛着を持っていた。

■オランダの花になった
征服と領土拡大を小休止し、芸術や娯楽に関心を向けたことからチューリップ愛好が頂点に達した1718年から1730年までの期間は「チューリップ時代」と名づけられた。パトロナ・ハリルの乱によりこの時代が終わりを迎えると、チューリップもイスタンブルから姿を消した。この貴重な花を保護したオランダには、交配によって現在5500種類のチューリップがあるという。世界でチューリップといえばもはやオランダのシンボルであり、オランダの重要な輸出品として知られている。
ドバイタワー、メヴラーナ像、金角湾大橋のような新しいシンボルで街が埋め尽くされることが議論の的となっているイスタンブルは、少ない費用で昔のシンボルの1つを取り戻した喜びにあふれている。ほぼ全ての大通りや広場、公園に植えられた300万本のチューリップにより、イスタンブルは今春“第2チューリップ時代”を迎えている。12月に植えられた22種類・300万本のチューリップは、長い冬の眠りを終えて地面から姿を現し春の訪れを告げる一方、自然に触れられる場所が少ないことや交通渋滞で息の詰まる思いをしているイスタンブル市民の心を和ませている。

■街の魅力をさらに向上
エミルギャン森林公園からユルドゥズ公園、ボスフォラス海峡からフディブ邸に至る場所や、金角湾からフロルヤまでの海岸線、またヴァタン通りなどの大通りに黄、ピンク、赤やまだら色のチューリップがイスタンブルの魅惑的な美しさに花を添えているようだ。
11月にイスタンブル広域市が始めた「イスタンブルに300万本のチューリップ」キャンペーンは、植えられたチューリップが咲き始めるとともに勢いを増した。エミルギャン森林公園で先日始まった「イスタンブルはそのチューリップと出会う」という国際的なイベントで、市は「もっとも上品なチューリップはイスタンブルで育つ」とアピールしている。このイベントは5月まで続く予定で、明日はジェマル・レシット・レイ・コンサートホールで国際シンポジウムが開催される。イスタンブル市民には100万個のチューリップの球根が配られた。これを植えて育てたチューリップの写真を送ると100人に300リラの賞金が贈られるコンテストが開かれた。
イスタンブル市は今年、22種類・300万個のチューリップの球根の購入と植栽のために100万リラを投じた。チューリップ以外にも600万本の花と13万本の木を植えた。今春、3万3千平方メートルの土地を対象に行われたこれらの活動に費やされた費用は1億4千7百万リラであった。

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( 翻訳者:湯澤 芙美 )
( 記事ID:2174 )