Oktay EKSI コラム:悪事に手を染めているフランス(Hurriyet紙)
2006年05月11日付 Hurriyet 紙

「ガラスの家に住んでいる人は石を投げてはならない(弱みを持つ者は自分のことを棚に上げて人に文句を言ってはいけない、の意)」は、間違っていなければほとんどどの言語にもあることわざである。

フランスは完全にこの過ちを犯そうとした。さらに過ちは1つだけでなく、2つあるのだ。

ご存知のように、「アルメニア人大虐殺と言われている出来事は、実際は(一方的な)虐殺ではなく相互による殺りくの過程である」という(アルメニア人大虐殺を否定する)言説に対し5年間の懲役刑を科すことを目的とした法案がフランス国会で現在審議中である。

フランスは文化的な国である。フランス人は自国民や自らの文化、価値を誇りにしている人たちだ。もしこれらが正しければ、フランス人は自分達がついこの前に行った悪事をどう説明できるのだろうか?

例えば、ルワンダで内戦が起こった際、フツ族の民兵はフランス人将校による軍事訓練を受けた。その後(対立する)ツチ族が3カ月で80万人殺されたと伝えられている。この虐殺にフランス人将校も関わっていたことが、ルワンダ人6人がフランス軍事裁判所に行った証言や提出した証拠から明らかとなった。彼らは、一部のフランス軍兵士がフランス軍の保護下にあったムランビ難民キャンプにいたツチ族を殺害するのを目撃したとブリジット・レイノード裁判官に証言した。

ここでルワンダでの虐殺にフランスの「国家」としての役割があったかどうかが議論の的となると言えよう。

あるいは1945年5月8日、アルジェリアのセティフ市で2万人のアルジェリア人がフランス軍による銃撃を受けて殺された事件はどうだろうか?

アルジェリアのアブデュルアズィズ・ブーテフリカ大統領は、セティフ大虐殺の後、150万人のアルジェリア人がフランス人によって殺されたという理由で、フランス政府に公式謝罪を求めた。これに対しフランスの公式筋は、「歴史上の真実を定めて明らかにするのは政治家の仕事ではなく、歴史家の仕事である」と答えている。

要するに、自分たちが責められる番になると「歴史は歴史家に任せておくのが合理的」だと考えるのに、標的がトルコになると「アルメニア人大虐殺はなかったという発言は懲役5年に相当する罪である」と言うほど矛盾に満ちた、ダブルスタンダードを振りかざす態度にフランス人は不都合を感じていないのだ。

さらに・・・これらの行為がフランスの自由主義の根源である「言論の自由」とは正反対のことであることに見て見ぬふりをしている。

信じられないことだが、21世紀初頭の今になって「世界は平らである」と言い張る、宗教裁判的精神が眼前に現れたことを我々は目の当たりにしている。中世のそうした不確かな考えが「地球は球体であり、地軸の周りを自転している」と言ったガリレオ・ガリレイを弾圧することに努めることで犯したのと同じ位の過ちを、現代においてフランス議会が犯そうとしているのだ。

フランス議会がこの過ちをトルコ人に反対するために犯すのならば、それはさらにひどいことだ。なぜならこれはまさに人種差別そのものだからだ。

*ルワンダ内戦:アフリカ中央部にあるルワンダにおいて、1990年から1994年にかけ、フツ族の政府軍とツチ族のルワンダ愛国戦線(Rwandan Patriotic Front、RPF)との間で行われた武力衝突。1993年8月にRPFの猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツ族のジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプレン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜されたことに端を発して、フツ族によるツチ族の大量虐殺(ジェノサイド)が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも50万人が虐殺されたとされる。

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( 翻訳者:住永 千裕 )
( 記事ID:2408 )